限界集落に公金が浪費されている実態

人口の50%以上が65歳以上の集落や自治体を「限界集落」「限界自治体」とかいうのは過疎化・高齢化の進行により農作業や生活道路の管理、冠婚葬祭など、集落としての共同体の機能を維持することが“限界”に近付きつつあるという意味らしい。

自家用車がない時代には、工場に勤務する工員さんも社宅に住んでいたし、農山村や漁村では職住近接が必要だった。しかし、いまや生活に便利な単位で集落を形成し、仕事場には車で通った方が合理的だ。最近、山形県上山市の田園地帯(最寄り駅から徒歩25分)にある41階建てのタワマンが話題になったが、雪かき不要で人気なのだそうだ。

八郎潟を干拓してできた秋田県大潟村は、人口3000人ほどが住んでおり、役場、学校、病院、福祉施設、商店、倉庫、作業場などの機能がまとまっている。村の中心からもっとも遠い地点まで10キロ程度だが、これこそ合理的だ。優れた風景や祭りなどは、例外的に文化政策として保護すればいい。

未来志向で考えれば県全体とか生活圏単位の人口の維持に使うべき公金が、限界集落・自治体の過疎対策に浪費されていることは馬鹿げている。

東京一極集中と無駄を解消する「最適解」

自民党が提言していた道州制とは、47都道府県より大きな単位の自治体を成立させて、国の権限の受け皿にしようという考え方だ。東京一極集中を緩和するダムとしての役割を果たさせ、また、都道府県ごとでしている仕事や施設の無駄も省こうという狙いに基づいている。既存の47都道府県は廃止するという人が多いが、存続させる案もある。

一方、旧民主党系が提案していた300基礎自治体は、現在2000近くある市町村を、人口15万~20万人くらいを最小単位とし、300くらいにまとめたらどうかという考え方である。小沢一郎氏らが推進した考え方で、300は江戸300藩にひっかけたイメージ戦略だ(実際には300藩のほとんどは人口1万~3万人だったので誤解を招く表現だが)。

旧民主党は、都道府県も廃止して、国と基礎自治体だけにするということだったが、それではかえって、中央政府の力が強くなると訝しく思う人が多かったし、私は、道州制も基礎自治体も両方すればいいという考え方だ。