中国政府が外国にパンダを贈る「パンダ外交」はなぜ始まったのか。『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)を書いた東京女子大学現代教養学部の家永真幸准教授は「1930年代ごろまで中国政府はパンダにまったく関心がなかったが、アメリカ人が勝手にパンダを持ち帰ったことでパンダブームが起きた。そこから中国がパンダの魅力に気づき、中華民国時代からパンダ外交は始まった」という。中国ルポライターの安田峰俊さんが聞いた――。

パンダ、外交でどう活用されたかの先行研究がない

――中国のいわゆる「パンダ外交」に着目した研究とはユニークです。もとになったメディアファクトリー新書の『パンダ外交』(※本書はこの旧著から第6章を新たに書き下ろしたもの)は約10年前の刊行ですが、そもそもどういう経緯でパンダ外交に着目なさったのでしょうか?

ワシントンD.C.のスミソニアン博物館で販売されているパンダ土産
ワシントンD.C.のスミソニアン博物館で販売されているパンダ土産(撮影=安田峰俊)

【家永真幸(東京女子大学現代教養学部准教授)】もともと、大学時代の卒業論文で、ニクソン訪中を扱ったんです。その過程で、米中間で最も重要な外交問題は台湾問題なのだと感じまして、大学院では台湾問題を研究したんです。台湾しか統治していない「中華民国」が、どのように自分たちの中国性をアピールして、それがどう外交問題に結びついたかに関心を持ちました。

ただ、最初は台北の故宮博物院の政治利用を調べていたのですが、先行研究が多い分野でして、なかなか新しい切り口を探しにくかった。そのときちょうど、陳水扁政権(当時)下の台湾が、とある対中関係の問題に直面します。すなわち、台湾のパンダ受け入れ問題です。

――本書の第5章「パンダ、外貨を稼ぐ」で詳しく言及がありますね。当時、中国大陸から台湾の動物園にどのようにパンダを受け入れるかが深刻な問題になっていました。

【家永】そうです。そこで興味を持って、戦前の中華民国がパンダをどのように扱っていたのかを調べてみると、歴史学の先行研究がほとんどなかったのです。

さっそく、南京の第二歴史档案館や四川省歴史档案館、台湾の国史館などで、往年のパンダに関する史料を書写したりコピーを取ったりしたところ、どうやら1930年代まで、中国(中華民国)はまったくパンダに関心がなかったことがわかりました。

ところが1941年、日中戦争中に宋美齢(蒋介石夫人)の肝いりでアメリカにパンダを贈り、対米外交に利用しはじめたあたりから、急に「国の宝物」みたいな扱いになっていった。これは論文になるなと思ったんです。本書のもとになった『パンダ外交』も、このとき書いている途中だった博士論文をもとにしたものなのです。