ジョブ型人事制度で窮地に立たされる中間管理職
私が『会社人生、五十路の壁』を上梓した時より、もっと高く険しい壁が50代の前にドカンと立ちはだかったのである。さらに悲惨なのは、ポスト・グローバルな世界でのそれである。
経営者はいかなる手を打てば、自分の会社を未来に生き残らせることができるのか、迷いに迷っている状態なのである(たとえ平気な顔をしていても……)。
そのため、できることは50代のリストラで人件費を減らすという安易な策しかないというのが実情なのだ。
50代は会社では部長、課長という中間管理職が多いのではないだろうか。この層の人たちは、会社に出勤することが最も重要な仕事だったといえば言い過ぎかもしれないが、彼らはコロナ禍でリモート勤務が一般化すると不幸にも不要な存在であることが明らかになってしまったのだ。
「あいつらが会社に来なくても組織は回るじゃないか」と経営者が気づき、「あの人たち、私たちの仕事の邪魔をしていただけじゃないの」と若手の部下も気づいたのだ。どんな事情にしろ、組織が垂直から水平になる時代が本格的に到来したのだ。
それに拍車をかけるのが、ジョブ型人事制度の広がりだ。これは会社が社員に対して職務内容を明確に定義して雇用契約を結び、労働時間ではなく職務や役割で評価する制度である。
過労死などの問題から働き方改革が叫ばれ、ジョブ型人事制度に注目が集まった。しかし日本の会社とは、よく言えばチームワーク重視である。他人の仕事におせっかいを焼くことでチームとして成果を上げてきた。
しかし、50代の中高年管理職にとってはジョブ型人事制度なんて採用してもらいたくはなかった。自分自身のジョブが不明確であるところに存在価値があったからだ。なんとなく上司然として若手の上に居座っている管理職が多かったからである。だからジョブ型人事制度は、喧伝される割には広がりを見せていなかったように思える。
ところが、コロナ・パンデミックが襲ったことでジョブ型人事制度が一気に広がりそうな気配だ。
会社側はリストラとジョブ型人事制度で、コストパフォーマンスの悪い50代を狙い撃ちし始めたのだ。これが現在の状況である。
50代にとって最悪の時代=ヘル・フィフティ(地獄の50代)が到来したのである。
ヘル・フィフティは多額の費用がかかる
私が上梓した時とは比較にならないほど堅牢な「五十路の壁」がそびえ立っている。というのは、経営者でさえ先が見通せない時代なのに、多少の割り増し退職金をもらったとしても会社という組織の後ろ盾がなく、これから続く数十年(平均寿命から見れば約30年、人生100年時代だとすると約50年!)を生きていかねばならないのである。
1人だけで生きていくのなら、まだなんとかなるかもしれない。しかし妻がいて、子どもがいて、彼らの人生にも責任を持たねばならない。中には、郷里に老いた親(妻の親も含めて)がいて、介護を必要とする可能性もある。親を老人ホームに入居させるには多額の費用が必要である。生活費、子どもの学費、親の介護費用、やがて到来する自分自身の介護費用も考慮しておかねばならない。
会社という組織を離れて、こんな過重責任を負いきれるのだろうか。まさに最近、人口に膾炙されている「老後破産」を危惧せざるを得ない。