〈外部〉への憧れ→自己形成→精神に純化した存在へ

【宇野】僕はいまさらフェミニズムの立場から村上春樹を糾弾する気は全然なくて、むしろ村上春樹の自己の強化を行って、歴史にアクセスしてもイデオロギーや陰謀論に流されないようにしよう、という考え方に問題があったと思うんですよね。

【吉田】ロレンス問題とはどう関連するのでしょうか。

【宇野】ロレンスと村上春樹は段階論なんですよ。前期ロレンスは、無邪気に〈外部〉を信じて、自分は歴史の当事者になれると考えた。村上春樹の段階になると〈外部〉で歴史の当事者になることは断念している。代わりに、女性搾取で男性ナルシシズムを強化して、吉本隆明風にいうと、1対1の関係で生まれる「対幻想」に依存した自己形成で、イデオロギーに依存しないように強くなろうとする。

村上春樹の段階から一歩進んだのが後期ロレンスのアプローチです。性搾取で男性性を強化するために誰かを所有することはない。そういう意義は突破し、自分の身体を滅却して精神に純化した存在になろうとしたのが晩年のロレンスですね。若者に鞭打ちを頼んでマゾヒズムを追求したり、スピード狂になってオートバイやモーターボートを乗り回すようになる。そして46歳の時にオートバイ事故で死ぬ。

なぜランニングを続けると「スピード狂」になるのか

【吉田】身体については、第4部で走る、ランニングというモチーフが出てきますね。

【宇野】これも段階論ですね。まず誰かを蹴落とすのが楽しい、相互評価のゲームとしてのオリンピック的な競技スポーツがある、その次に自己を確認するための筋トレなどに勤しんだり、タイムに拘泥する村上春樹のランのような〈なりたい私になるため〉のナルシシズムスポーツがあり、最後に運動そのものを目的とするライフスタイルスポーツがある。ロレンスのスピード狂は、ライフスタイルスポーツの先鋭化しすぎたかたちで、ではロレンスとは違うかたちで「走る」とはなんだろうか、というのを考えたのが4部です。

ランニングする男性の後ろ姿
写真=iStock.com/choochart choochaikupt
※写真はイメージです

【吉田】ナルシシズムとSNSの問題はどうつながるのでしょうか。

【宇野】この「走る」というのはもちろん比喩だし、本文にもそう書いてあるのだけど、そういうのを全部無視して、宇野は身体回帰してけしからんと書いている人がいた。この人を安直だな、と言うのは簡単なのですが、僕はSNSのプラットフォームがそれくらい人間をバカにしてしまっていると思うんです。

吉本隆明は人間が社会をとらえるときの要素を「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」の3つに区分しましたけれど、それってSNSそのものなんですよ。「自己幻想」はプロフィール、「対幻想」はメッセンジャー、「共同幻想」はタイムラインに相当しているわけです。

【吉田】なるほど。