否定ではなく肯定、怒りよりも笑いで問題提起したい
【宇野】じゃあ、自分がどうするかというと、そういうゲームに加担しないのは前提として「語り口」を変えたいと思いました。眉間にシワを寄せて正しさを語る気持ちよさとは、別の感情に訴えてものを考えてもらう回路をつくらないとダメなんじゃないかと思ったんです。
この『砂漠と異人たち』もそうで、書籍というアナクロなメディアで、まとまった分量を半ば強制的に読んでもらえるからこそできるアプローチを試してみたかったんですね。それであの……ネタバレになるとつまらないから言わないですが、仕掛けのある構成を試してみたんです。
【吉田】宇野さんは、脚本家の井上敏樹さんに、語り口についてアドバイスを受けたと言っていましたね。あの話につながっているのかな、と想像しました。
【宇野】……めっちゃするどい。実はいちばん最初に書いたのは、ロレンスを描いた第2部なんです。井上敏樹さんから昔、「自分で読み返したくなる凝った部分を最初に1個書け」と教わりました。そこができたら最後まで書ける、とくに大きな仕事には必要だって。
【吉田】なるほど。第2部「アラビアのロレンス問題」がその凝った部分なんですね。
“語り口しかない日本”の代表例だった「いいとも」
【宇野】僕はあの語り口で態度表明がしたかったんです。人間って、ある対象への距離感や進入角度が大切じゃないですか。しかし最近のSNSを見ると、イエスかノーか、肯定か否定か、とわかりやすい態度が真摯だとされている。僕はきちんとダメなものはダメだというのは大事だと思うけれど、その語り口はもっと多様化していないと息苦しいと思うんです。だから自分が書く1冊の本で、真摯に笑えないテーマについて書くのだけれど、笑ってもいいんだよという態度を示したかった。そこからスタートしたんです。
【吉田】あの語り口は、距離感や進入角度の表れなんですね。
【宇野】逆に日本社会では、ある時期から「語り口」だけが肥大化しすぎてしまっていて、その弊害もあると思うんです。例えば80年代のテレビシーンの一部がそうで、僕は人生でこれが一回も面白いと思ったことがないのだけれど「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の人気コーナーだった「テレフォンショッキング」なんかそうですよね。