07年オフ、FA宣言して広島を出ていったとき、新井は「2度と戻れない」と覚悟していた。だが、阪神を自由契約になった直後、松田元オーナーから「もう一度広島で野球がやりたい気持ちがあるのであれば歓迎する」と温かい言葉をかけられたことに心から感謝し、金額云々よりも、「最後は育ててもらった球団で燃え尽きたい」と“恩返し”を決意したのだ。
復帰2年目の16年、新井は39歳の4番打者として打率.300、19本塁打、101打点を記録し、チームの25年ぶりVに貢献すると、年俸も初年度の2000万円から2年目の6000万円を経て、1億1000万円にV字回復。「本当、皆さんのおかげで素晴らしい1年にしてもらいました。記録にも記憶にも両方残る1年になりました」と感激に浸った。
そして、現役引退から4年後に広島の監督に就任。もし、大幅減額を受け入れて15年も阪神に残留していたら、おそらく、新井自身はもとより、広島の未来も違っていたものになっていただろう。
契約更改も“筋書きのないドラマ”であることを実感させられる。(文・久保田龍雄)
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍『プロ野球B級ニュース事件簿2021』(野球文明叢書)。
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍『プロ野球B級ニュース事件簿2021』(野球文明叢書)。
当記事は「AERA dot.」からの転載記事です。AERA dot.は『AERA』『週刊朝日』に掲載された話題を、分かりやすくまとめた記事をメインコンテンツにしています。元記事はこちら