ピリング氏はこの本の中で、「原発事故により古い日本の悪い体質が一瞬のうちに世界中にバレてしまった」と述べています。日本は先進国で、経済的にも豊かな民主国家だと思われていましたが、本質は違っていて、例えば何事も「お上頼み」であったということなどが、世界の白日のもとにさらされてしまったのです。
原発事故は「人災」である
このような考察はもっぱら海外からばかりで、日本のジャーナリストや報道関係者は、身近に膨大な情報があるにもかかわらず、政府や当局者が都合よく発表したものをただまとめるだけです。
国会事故調報告書の中で、私たちが「人災」であると断言したことに対し、当初、国内からは批判もありました。しかし、国際社会の動向を見ると、日本の原発事故と国会事故調の報告書を通し、その国の「文化」が原発の安全性に深く関わることを、世界は知ることができたはずです。
福島第一原子力発電所事故は、直接的な原因としては、地震、津波、安全神話の盲信、原子力をめぐる産官学の癒着と閉鎖性などがあげられます。ただし、根本的な原因は「規制の虜」となった日本という国家の上層部が失敗から学ぶことをせず、国民のために改善策について議論を戦わせるという文化がなかったということにあるのです。
国を衰退させる日本型エリート
私が国会事故調の調査の中で痛感したのは、原発事故の当事者であるこの国のエリートたちの無責任さでした。例えば、電気事業連合会元会長で事故当時は東京電力会長だった勝俣恒久氏は、聴取の間、「安全に配慮してきたつもり」といった具合に、「~だったつもり」という発言を6回も繰り返しました。
また、「それは社長の仕事でした」などと、当時の清水正孝社長に責任を転嫁するような発言が10回を数えるなど、こちらの追及に対して正面から答えようとはせず、ひたすら逃げるばかりでした。
東京電力を監督し規制する立場だった政府機関のエリートもひどいものでした。原子力安全委員会事務局長と原子力安全・保安院長を歴任し、原子力規制の専門家であった広瀬研吉氏は、事故当時、対応の拠点だった「オフサイトセンター」から原子力安全・保安院の職員が退避してしまった事実について国会事故調委員の野村修也氏が尋ねたところ、「よく承知をしていない」とはぐらかす始末でした。
あきれた野村委員が追及しても、彼は意味の通らない答えを繰り返してやり過ごそうとするばかり。彼らに限らず、聴取された関係者たちは一事が万事、この調子でした。
普段は威張っているのに…
政府、官僚、東京電力、産業界、学会の責任者たちはいずれも日本では「エリート」と呼ばれる人たちです。しかし、彼らは一様に志が低く、責任感がありません。
自分たちの問題であるにもかかわらず他人事のように振る舞い、普段は威張っているのに、いざ事が起きるとわが身かわいさから「私は知らない、記憶にない、聞いていない、関与していない」と一目散に逃げ出しました。取り巻きはそんなエリートたちの情けない姿を見てなお、彼らに忖度し続けています。福島第一原子力発電所事故で私たちがまざまざと見せつけられたのは、そんな日本の現実でした。