また人種差別、民族差別のような差別によって、または宗教の対立から生まれる差別によって、LGBTQといった性の多様性や女性差別のような性差別によって、または身体障害や精神障害に対する障害者差別によって、社会的に排除され孤立する個人が生まれる。

こうした孤立した個人を救済し、多様な人々を社会的に包摂できる社会の構築が求められる。これも政治的な暴力をなくすための根本療法の一つである。

危機管理に必要なリベラル・アプローチ

テロリズムの動機、目的には、民族独立運動の過激化、階級闘争の過激化、宗教闘争の過激化、シングル・イシューの社会運動の過激化といった側面がある。こうした問題が過激化して暴力が発生する余地が生まれない解決方法を目指さなくてはならない。

それはたとえば民族自決の実現であり、経済格差のない豊かな社会の実現であり、宗教など多元的な価値を認める社会であり、様々な社会問題を議論と合意形成によるリスクコミュニケーションで解決できる社会の実現である。

こうした民主主義社会におけるリスクコミュニケーションによって、テロリズムや革命などの暴力とは異なるアプローチで社会問題を解決していく方法を、時間をかけて模索し続けなくてはならない。

議会と曇り空
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このような根本療法による手法を、テロ対策、危機管理のリベラル・アプローチと呼びたい。この根本療法は非常に時間がかかり、社会的労力を伴うものであるが、政治と暴力の問題を解決するためにそれが必要であることは間違いない。

「安全・安心」と「自由・人権」の価値のバランス

テロ対策において、安全・安心の価値を重視するならば、テロリズムを未然に防ぐために電話やネットなどの通信傍受を強化し、社会を監視カメラだらけにして、ツイッターやフェイスブックなどのSNS上のコミュニケーションを監視し、強力な監視社会を構築すれば、テロリズムを未然に防ぐことは可能になる。

しかしながら、そうした監視社会において人々のプライバシーや自由、人権は破壊される。

民主主義社会を運営していくうえで、人々の自由や人権の価値を守りながら、テロ対策をどこまで実行してよいか、その「安全・安心」の価値と「自由・人権」の価値のバランスをどうとるかについて、国民、市民の中で冷静に議論することが必要であり、合意形成するためのリスクコミュニケーションが必要である。

これまでテロ対策や戦争紛争に関わる安全保障や危機管理とは、保守派のタカ派の専売特許であるように日本では考えられてきた。テロ対策や軍事を語るものは保守派であり、タカ派であるというレッテル貼りが横行してきた。