日龍峯寺の境内からは“宿儺さま”という言葉が

円空は美濃生まれの僧で足跡は広く、前に北海道伊達市の善光寺を訪れたとき、宝物館に元禄げんろくの年号を刻んだ作品があって驚いたことがある。円空は蝦夷地まで行って仏像を作っていたのである。生涯に十二万体の自由奔放な仏像や神像を作った。

「両面宿儺像」は仏像や神像ではないが、円空の代表作の一つであろう。両手で斧の柄を握っている様子から、円空は宿儺に斐陀の杣人をイメージしていたことがわかる。

宿儺を開基とする寺は、岐阜県中南部には飛騨以外にもある。武儀むぎ郡武儀町(現・関市)の日龍峯寺にちりゅうぶじである。山腹から麓にかけて建物のある大寺で、坂はきつい。境内の坂道を上っていると御詠歌のテープが流されていた。すると“宿儺さま”という言葉が何度も聞こえてきた。ここでは宿儺は謀反人ではなく、いまも敬愛の対象である。

宿儺を殺した都の人間はだれだったのか

ぼくの頭のなかでは、『紀』の記述のような宿儺像は次第に影をひそめ、飛騨や北美濃の地元の人がもっていた宿儺像が浮かぶようになってきた。

『紀』では、飛騨に派遣され宿儺を殺したのが和珥臣の祖の難波根子武振熊とする。『記』では丸邇臣の祖の難波根子建振熊命である。

和珥臣の祖の武振熊といえば、神功じんぐう応神おうじん側の将軍だった。詳しくは『敗者の古代史 「反逆者」から読みなおす』(角川新書)で解説しているが、仁徳紀六十五年条と同じ人物とみると高齢者であって、この個所は『紀』の編纂時での挿入の可能性が高い。飛騨の宿儺が殺されたとしても武振熊以外の人物によってではなかろうか。これからの研究課題になる。

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