日本の中小企業は立場の弱い「かわいそうな存在」なのか。福井県立大学名誉教授の中沢孝夫さんは「彼らの多くは独自の技術を持っている。そのため、理不尽な要求をする大企業にも堂々と交渉ができる」という――。

※本稿は、中沢孝夫『働くことの意味』(夕日書房)の一部を再編集したものです。

日本の鉄工所で働く職人は美しい
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日本の中小企業を巡ってわかったこと

「仕事」というものは、たえず具体的である。また働き方というのは、大きく分ければ精神的なものと肉体的なものとに分けることができるとは思うが、基本的には、それぞれが重なっている。

ただ、仕事は必ず「何か」目的(対象)を持っている。そこで、迂遠なようだが、現実の仕事の進み方を点検したい。

職場で働くと個人だけではなく、会社そのものも、社会環境とネットワークができる。必然的にさまざまなネットワークができると言ってもよい。筆者の場合は、「東洋経済」をはじめとして、新聞や雑誌に寄稿しているうちに、あちこちから声をかけられて広がりを持ち始めた。何冊目かの著書として『中小企業新時代』(岩波新書)を発刊するきっかけとなったモチーフは、やはり現場調査の経験から得られたものだった。

取引の立ち位置と上下関係は必ずしもイコールではない

まず製造業を中心にたくさんの業種を訪ね歩いた。金型、板金プレス、熱処理、鋳造、鍛造、メッキ加工、塗装など、基盤技術といわれる領域だけではなく、さまざまな部品加工工場で仕事の聞き取りをしながら、モノがつくられ消費されるまでには、いくつもの流れ(節目)があるということを知った。もちろん深く考えなくとも当然のことだった。自分の職場には、前の仕事と後の仕事がある、という連続性が存在し、その中に自分がいる、ということであった。

またティア1(一次協力メーカー)、ティア2(二次協力メーカー)といったネットワークの位置づけはあるが、それは必ずしも取引の上下関係を意味しなかった。彼らは自分(たち)の持っている技能や技術に依拠しており、それがなければ価格競争だけが残ることになってしまう。