14億人の中国市場。世界の医薬メーカーがこぞって同市場攻略に戦力を投入する中、タケダは、攻めあぐねていた。アジア市場の攻略を託された人物がいる。

業界をアッといわせた人事だった。10年7月、萬有製薬元社長で、英グラクソ・スミスクライン(GSK)日本法人専務の平手晴彦を、長谷川閑史がタケダのコーポレート・オフィサー(アジア販売統括職)としてスカウトしたのだ。平手といえば、業界で知らない者がいない“仕事請負人”だ。このような人材を将来の取締役含みで採用したのは異例で、長谷川が、平手の力量を評価している証しだろう。

平手晴彦●1957年、東京都生まれ。80年慶應義塾大学経済学部卒業。萬有製薬社長、GSK日本法人専務などを経て、2010年7月から武田薬品工業コーポレート・オフィサー。

平手は慶應義塾大学経済学部を卒業後、日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)に入社。その後、独ドレーゲル日本法人に転じて、ここから、平手の外資系人生が始まった。次に、スイスのロシュ・ダイアグノスティックス社長に就任。さらには、萬有製薬社長のポストにつくが、平手をスカウトしたのは、萬有製薬の大株主である米メルクだった。そして、タケダの前は、GSK日本法人の専務だった。

実は、平手が萬有製薬を辞めるときに、長谷川から声をかけられているが、GSKへ行くことが決まっていた。そして、長谷川は、平手との食事会を何度か開き、2年かけて口説き落としたのだ。

「これからタケダは、グローバル企業になる。アジア市場には、平手さんの力が必要だ。是非、力を貸してほしい」

外資のよさと欠点を知り尽す平手だが、タケダに入社前は、タケダの大阪流のコテコテ営業法、長い歴史と伝統に裏打ちされた保守的な社風などに自分がどう受け入れられるのか、タケダという新しいフィールドで、存分に仕事が行えるのかを考えていたという。そして、最終的に平手を決断させたのは、長谷川の「タケダを変える」という本気度だった。

「長谷川さんの“意気に感じ”ました。タケダじゃなければ、他の日系製薬メーカーだったら断っていた」

外資系を歩いてきた平手にとって、いつか日本人として日本の企業に恩返しができればという思いがあったのだろう。

「とにかく中国を立て直してくれ。どうしようもなくなっているんだ」

長谷川の熱意にほだされ、重い使命を感じて入社した平手だが、タケダは、よくも悪くも想像通りの会社だった。そして入社後初めての役員朝食会で、タケダの感想を聞かれた平手は、こう答えた。

「社内手続きが本当に煩雑ですね。こんなスピードでやってたら、全部他社に持っていかれますよ」