タケダの研究開発の発祥の地である大阪の下町、十三に、タケダのCMC研究センターはある。同センターは、医薬品の製剤技術と品質を高めるための研究部門で、かつては、製薬本部に属していたが、長谷川閑史の強い意向で独立した部門となった。ナイコメッド買収、新薬開発が「攻め」ならば、同部門は、タケダのモノづくりを支える「守り」の重要部門だ。
「山田の言葉に感化された」
同所長の三輪哲生によれば、山田忠孝は同センターを訪れて、以下の4つの要素の大切さを研究員たちに説いたという。
「緊急性」「イノベーション」「メジャーメント(数値化)」「パートナーシップ」。なかでも、三輪たち現場の人間を驚かせたのは、目標を明確化することだけでなく、今行っている研究がどれくらいの価値があるかを「常に数値化せよ」というものだった。常に「世界基準」を示す山田の言葉は、若手だけでなく、ベテランの研究者にも活力をもたらしている。
同センターは、日本のモノづくりの技術が凝縮している場所でもある。例えば、タケダが世界に先駆け世に出した前立腺癌薬「ルプロン・デポ」。これは当初、1日1回の注射が必須だったが、研究技術開発の結果、今では半年に1回の注射で済むようになった。研究を始めて約20年、特許が切れた今でも世界で1000億円以上の売り上げを記録する商品だ。
さまざまな改善や改良によって薬自体が、急激に価値が低下せず“生き残って”いく。たとえ革命的な商品でなくとも、患者視点の商品へと進化させることで、薬は新たな製品へと変化するのだ。
ナイコメッドの買収で、タケダの商品がデリバリーされる国は、約70カ国にも達するが、国情、人種、風俗、習慣が異なる国々の、それぞれに見合った薬の製法が必要になる。逆にいえば、日本の緻密なモノづくりの技術を生かして、各国の事情に合致した商品をつくれれば、ビジネス拡大のチャンスに変わる。
今、世界の医薬品メーカーの将来は、年々不透明さを増している。一時は、世界一の規模を誇るファイザーの巨額な研究開発費、何万人単位の研究員を潤沢に投入して、ブロックバスターと呼ばれる売上高1000億円超の新薬を創出し続ける「ビジネスモデル」が世界を席巻した。しかし、新薬の完成が難しいわりに、巨大な資金が必要で、科学者の高い人件費が、経営を圧迫する。そしてファイザーのビジネスモデルが“崩壊”の予兆を見せているのは、業界では周知の事実だ。