スニーカーブームの始まり

僕たちが最初にアトモス別注を作ったころから、ナイキジャパン独自の企画で、次第に別注が広がっていった。

本明秀文『SHOE LIFE』(光文社)
本明秀文『SHOE LIFE』(光文社)

別々の何かを掛け合わせたという意味で使っていたこのころの「別注」は、今でいうコラボレーションと同義。まだまだコラボレーションが世の中に氾濫する以前は、“別注”というだけで、どんなものでもとにかく売れた。ナイキは、“アトモスデザイン”と発信しろと言っていたものの、別注という言葉は、雑誌でも多用され、一人歩きしていた。

そして、きちんと発売日が設けられると、別注スニーカーを買うために行列ができるようになった。これがスニーカーの行列の始まりだ。4~5人のスタッフを従えて、一人は店前で交通整理。店内では、お客さんの試着に対応しながら、スタッフ一人当たり200足前後を売る。1日でさばける手売りの限界は1店舗で800足だった。インターネット通販がまだない時代は、大変だったけど、店頭に全ての熱狂があった。

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