奇抜なアニマル柄を採用したワケ
2004年ごろ、僕はちょうど、ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』(原題:Setting Free the Bears、村上春樹訳)を読んでいた。物語は、第二次世界大戦中の影響が色濃く表れるヨーロッパを舞台に、2人の青年がお金を出し合ってバイクで旅行する。旅先でトラブルが続き、青年の一人が転倒事故で亡くなってしまう。残された日記には、ウィーンの動物園で目撃した動物への虐待について書いてあった。主人公は、亡くなった青年の遺志を継ぎ、動物たちを解放するためにウィーンに向かうというもの。
僕はその本に影響され、動物柄をスニーカーに使いたいと考えた。下着としては見慣れた柄ではあったけど、スニーカーに使うには突拍子もない柄だった。「動物柄の下着が売れるなら、スニーカーだって売れるはずだ」と高を括り、アッパーにヒョウや虎、牛、シマウマといった動物柄を配した。それが本書のカバーにも掲載されている、2005年に発売した「アトモス アニマル パック」の「エア マックス 95」で、最初に作ったのは3000足だった。
サンプルを見たときは「僕って天才だな」と思ったぐらい良い仕上がりだったのに、蓋を開けてみたら全く売れず、2カ月かけて売り切るのが精一杯だった。それが原因で、ナイキジャパンから、またしてもめちゃくちゃお叱りを受ける羽目になった。正直、売れる自信もあったのに、なぜ売れなかったのか不思議だった。
ところがしばらくして、奇跡が起きた。アメリカで、有名なラッパー数人が「アトモス アニマル パック」を履いたのだ。動物柄を組み合わせた奇想天外なデザインが彼らの目に留まった影響で、今度は700ドルや800ドルで売買されるようになり、最終的には1500ドルにまで値上がりした。
ナイキジャパンも手のひらを返したように喜んでくれた。そして、もう一度同じコンセプトで作ったのが翌年発売した「エア マックス 1 アニマル」だ。これが、今ではアトモスの象徴にもなったアニマル柄を印象付ける最初の出来事となった。
ちなみに、アニマルシリーズの元になったものに、2001年の秋に発売したベージュピンク色の「エア フォース 1」がある。これは、通称“豚フォース”。ジョージ・オーウェルの小説『動物農場』から着想して、僕が考案したカラーリングだ。