たとえば細川護煕元首相は、「熊本県知事時代に駅前のバス停を30メートル動かすことさえできなかったことが国政を目指す原点になった」といって首相になったが、細川氏は、その後も、自らの原点だったはずの自治体への権限委譲には何一つ手をつけなかった。しょせん有名知事の限界は、このようなものだ。「もっと分権せよ」「真の地方自治を」などと叫んで当選した地方のリーダーが一度中央政界にくると、声高に言っていたことをすっかり忘れてしまう。その繰り返しで、日本の地方分権はずっと足踏みしてきた。

私の知る限り、地方の自立に対する抑えがたい願望と意思を貫いて、実現した政治家は田中角栄元首相だけである。彼は中央政界に乗り込んで、米びつを分捕り、自分の地元にバラ撒いた。道路や鉄道を敷くことから始まり、インフラを整備した後、中央から新しい産業を呼び込む。新潟をまず手はじめに、そして同じバラ撒きを全国津々浦々、と「均衡ある国土の発展」をやってのけた。

江戸時代から400年以上続く日本の中央集権の歴史に、地方から風穴を開けようとすれば、中央からよほどの権限を奪ってこなければならない。

しかし田中角栄的な手法がゆきすぎて利益誘導型の政治が蔓延り、地方の役人たちは中央から「権限」よりも、「お金」を持ってくる陳情ばかりに勤しむようになったのも事実だ。米びつにカネのなくなった今はその弊害で、ほとんどすべての地方都市は疲弊し、バラ撒きがなければ自立できない状況に陥っている。自治よりもカネを!という首長ばかりになった、と言ってもいいだろう。そしてここにきてやっと、橋下市長が「(カネよりも)権限をよこせ」という闘争を始めたのだ。船中八策の表紙には“給付型公約から改革型公約へ~今の日本、皆さんにリンゴを与えることはできません。リンゴのなる木の土を耕します”と書いてある。まさにバラ撒きから自立へ、という宣言になっている。

イギリスのサッチャー元首相は、スモールガバメント(小さな政府)を実現するために、経済戦略研究所の副所長を9年間も務めて、スモールガバメントの政策やノウハウをとことん勉強した。日本の地方政治のリーダーにはそうした勉強量が圧倒的に足りない。

従来の地方自治といえば、永田町や霞が関に陳情してお金を引っ張ってくれば事足りたが、もはやそういう時代ではない。世界からカネ、ヒト(人材)やモノ(企業)をどれだけ呼び込めるかが繁栄の鍵を握るため、地方政治のリーダーは世界がどうなっているかを理解していなければいけない。

ここ15年で世界は劇的に変わった。米ソ冷戦の時代と違い、現在は世界中に繁栄の極が分散して多極化し、「G20」といわれるような国々が台頭してきている。その中で、果たして知事や市長と呼ばれるリーダーは、何カ国ぐらい行ったことがあるだろうか(せいぜい1つか2つだろう)。そしてG20の何カ国に友人がいて、プライベートな携帯電話ナンバーを持っているかといえば、ほぼ皆無だろう。そんな有り様では、世界の富を呼び込んで繁栄する芸当など期待できない。