のちにシーガルはチャールズにこう語った。君がFBI捜査官であることは、ひと目見たときからわかっていたよ、と。真偽のほどは定かではないが、いずれにしろシーガルは、チャールズが身ぶりや態度で送っていた〈好意シグナル〉を受けとっていたのである。

この男はFBI捜査官に違いない。そう判断すると、シーガルはいっそう好奇心をつのらせた。自分をスパイとしてスカウトしたいのだろうと見当をつけてはいたものの、どんな任務を依頼したいのか、どのくらいの報酬を提示するつもりなのかはわからなかった。

このときシーガルは、母国の組織の中で昇進できないことを不満に思っていたし、すでに退職も控えていた。このFBI捜査官らしき男が接触してきたら、アメリカ側のスパイに寝返り、まったく違う老後生活を選ぶのも悪くない、そんな考えがシーガルの頭をよぎっていたはずだ。

同僚と遅くまで働く女性
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声をかけるまで時間をかけた理由

アメリカ側のスパイになるという決断は、一夜にしてなされたものではなかった。

スパイとしてスカウトされた人間には、充分に考える時間が必要となる。合理的に人生の戦略を練り直し、まったく別の国家に忠誠心を向けるという気持ちの切り替えをしなければならないからだ。

だからこそ「シーガル作戦」では、母国を裏切ってもかまわないという気持ちを芽生えさせるまでに時間をかけた。そしてシーガルの想像力が、この芽に栄養を与え、成長させ、開花させた。

シーガルはまたこの期間を利用して、アメリカに残ろうと妻の説得にあたっていた。だからこそチャールズに声をかけられたとき、脅威が迫ってきたとは思わず、チャールズを「希望の象徴」と見なした。これからはじまるよりよい生活への希望を、彼に託したのである。

「FBIに協力しよう」と決断してから、彼はチャールズが接近してくるのをひたすら待った。待っている時間は、まるで拷問にかけられているようだったと、シーガルはのちに語っている。

「なんだって、このアメリカの捜査官は、いつまでたっても行動を起こそうとしないんだ?」と考え、好奇心が爆発しそうだったという。そのため、ようやく食料品店でチャールズから声をかけられたときには、「どうして、これほど時間をかけたんです?」と尋ねたほどだった。