今回は、トランスジェンダー男性(Female to Male)の事例を紹介する。彼は小学校高学年から中学卒業まで、自分の性自認に深く悩みながらも、高校入学を機に、性自認について考えることを強制的に中止。やがて、パニック症を発症。男性パートナーとの交際を経て結婚し、2度の妊娠・出産を経験すると、かつてないほどのひどい離人症の発作に見舞われた。彼の家庭のタブーはいつ、どのように生じたのだろうか――。
性別を意識させない子
出生時の体の性別は「女性」だった関東在住の向坂壱さん(仮名・50代)は、明朗快活で、人見知りとは無縁な子供だった。興味の赴くまま、ままごともすれば、戦隊ごっこもする。ジャングルジムのてっぺんから飛び降りたり、冒険と称して廃屋に忍び込んだり、遊園地の柵を乗り越えたりして、幼少期は生傷の絶えなかった。
当時のことを向坂さんの母親は、「遊びも行動も仕草も、男女どちらかに偏っていた記憶はない。性別を意識させない子だった」と振り返る。
そんな向坂さんは幼稚園の頃、漠然とした違和感を抱いたという。男の子たちと紅一点で戦隊ごっこをして遊んでいたところ、いつも「ピンク」の役をやらされることに不満を感じていたのだ。ある日、向坂さんが、「レッドをやりたい!」と言うと、「お前は女だからダメ!」と言われたことが、ずっと納得できなかった。
さらに小学1年のときの向坂さんは、近所に住む4歳年上の男の子とよくキャッチボールをしたり、一人で壁当てをしたりして遊んでいた。ある日、「将来は野球選手になりたいんだ」と向坂さんが話すと、「壱ちゃんはなれないよ。ソフトボールの選手にならなれるよ」と苦笑される。瞬間、向坂さんは、「ソフトボールは女子のスポーツじゃん」という不満と、“ソフトボールなんて自分には縁のないもの”という認識が脳裏に浮かんだ自分に驚きを覚えた。
小学校高学年になり、思春期を迎えた向坂さんは、自分の性別に違和感を抱きつつも、自分の体が女性の体だということを自覚していた。
「特に思春期は、他人の目を気にする時期でもあります。髪を短くすればするほど、逆に女っぽい顔が目立つ気がして、自分に似合わない格好をして後ろ指をさされるくらいなら、まだ女子の格好をしていたほうがマシだと考えていました」
髪型はショートカットかショートボブ。服装はTシャツにジーパン、スニーカーといったような、ラフな格好が多かった。