こうした〈変化を先取りする力〉は、実質的な創業者である赤尾昭彦氏(1940-2016)の手腕によるところが大きい。天性の勝負勘を持つ経営者――そう表現するしかないほど、赤尾氏は常に時代の先手を打つ経営判断を下してきた。そもそも彼がコンビニという業態に着目したこと自体、大手の数年先を行くものだったのだ。

酒店を救うために生まれた「日本最古のコンビニ」

70年代初頭、札幌の老舗酒類卸、丸ヨ西尾の社員だった赤尾氏が、得意先の酒店の経営支援策として立ち上げたコンビニ事業がセコマの原点である。当時の北海道は、コープさっぽろを筆頭にスーパーマーケットが台頭し、個人酒店は窮地に立たされていた。

《小規模ながら科学的な経営で成長しているアメリカの新業態「コンビニエンスストア」》――。赤尾氏は職場で偶然目にした雪印乳業の広報誌の記事をヒントに、独力で情報を集め、70年ごろから酒店の店主にコンビニへの転換を呼びかけた。

そして71年8月10日、現在の札幌市北区で食料品、日配品、酒などを取り扱っていた個人商店が『コンビニエンスストアはぎなか』としてリニューアルオープンする。

それから50年、現在も『セイコーマートはぎなか店』として営業を続けるこの店は、セコマ1号店であると同時に、現存するコンビニで日本最古の店である。日本で最初に『コンビニエンスストア』の看板を掲げたのも、おそらくこの店ではないかと思われる。セブンが東京・豊洲に1号店を出すのは、それから3年後のことだ。

日本のコンビニの元祖がセコマだと強調するつもりはない。重要なのは、セコマというチェーンが、セブンを頂点とする日本のコンビニ文化とは別の流れから誕生し、独自のビジネスモデルを築き上げたという事実である。

田舎のみち
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徹底した分業で成長した全国チェーン

日本のコンビニの隆盛をもたらしたのは、徹底した分業体制だ。本部と外部の店舗オーナーがFC契約を結び、本部が商品供給、FC加盟店が店舗運営を分担して利益を分け合う。現在、ナショナルチェーンの店舗の約9割はFC加盟店である。

加盟店は優れた商品、サービスの供給を受ける代わり、商品代金、店舗物件の賃貸料、アルバイトの人件費など店舗運営に必要なコストの大半を負担し、加盟金や経営指導料(ロイヤリティ)を本部に納める。

本部は資産や人材を背負い込まず、身軽でいられるため、チェーンを加速度的に拡大できる。このビジネスモデルを国内でいち早く取り入れ、74年に1号店を開業したセブンの店舗数は29年後の03年に1万店、その15年後の18年に2万店に達した(22年5月末現在で2万1337店)。

本部の方針通りに商品をつくり、運ぶのは本部と契約した外部の専門企業である。セブンの場合、食品メーカーなどがセブン専用の商品を製造する工場が全国に160以上あり、それらの商品は国内20を超す物流企業が各地で共同展開するセブン専用の配送センターを介して店舗に届けられる。

現場のコストを負わないコンビニ本部は、常に最先端の商品・サービスを生み出す“最高級の頭脳”であり続ける責任がある。その難題をクリアし、国内で他の追随を許さぬ〈王国〉を築いたのがセブン‐イレブン・ジャパンという企業だとの言い方ができる。