1970年、MITを卒業し、ヨーロッパでの充電を経て、大前さんは日立製作所に入社する。国産高速増殖炉の開発に心を熱くしての出社だった。だがその日、大前さんがいきなり辞表を書くような「事件」が起きた。

ヨーロッパ&ソ連一人旅

1970年8月21日に私は日立に入社した。人事部からは6月にMITを卒業したらすぐに来てくれといわれていたが、オグルビー先生に頼まれて電子光学研究所の講師を2カ月ほどやって、さらにこんなチャンスはもうないだろうと思って、ヨーロッパを1カ月かけてぐるりと回ってから日本に戻ることにした。

『ヨーロッパ(1日5ドル)の旅』(『地球の歩き方』の元ネタ本)。原著“Europe on 5 Dollars a Day”は1957年初版刊行。日本では、小田実『何でも見てやろう』(61年刊)と並ぶ60~70年代バックパッカーの必携書だった(編集部撮影)。

当時のヨーロッパを経験できたのは、ある意味で貴重だったと思う。『ヨーロッパ(1日5ドル)の旅』(アーサー・フロンマー著 63年)という本を片手に、実質的にはユースホステルなどを活用しながら1日15ドル(5400円)くらいの資金でイギリス、フランス、イタリア、ドイツ、デンマーク、フィンランドをべったり見て回った。どこの国でも破れたジーンズに草履履きのヒッピースタイルで街を歩いた。

旅の最後にアメリカの旅行者でもビザなしで当時のソビエト連邦に入国できるようになったという情報を得て、モスクワに向かった。ところが「モスクワの街が見たい? お前はもうビザなしでモスクワに入っているじゃないか。ここで終わりだ」と空港で足止めを食らった。

次の日に搭乗予定だった羽田行きのJALのチケットから何から取り上げられて、強制収容所のような粗末な空港施設に連れて行かれた。モスクワの街を見てやろうと思って隙を見て逃げ出したが、すぐに警備員らしきでかいオバサンに捕まって部屋に引き戻された。

もうすっかり頭にきて「こっちは空手の有段者だ。やるか!」と空手の型を真似て暴れたら、向こうも普通の旅行客のように一筋縄ではいかないと思ったのか、話し合いを持ちかけてきた。

「モスクワの街がそんなに見たいか」というから「見たい。そのために来たんだ」と答えると、「JALのチケットをアエロフロートに代える気はないか」という。

要するにチケットを買い換えるなら、その差額で、車を出して監視付きでモスクワの街を案内してやるというのだ。

アエロフロートに乗るのは気が進まないが、モスクワの街が見られるなら仕方がない。渋々同意したら、モスクワ大学から英語の話せる女子大生がやってきた。これがなかなか可愛い。彼女のガイド付きで、共産国家の首都をクルマで見て回った。

冷戦の只中のモスクワはやはり暗い印象がある。トイレにはトイレットペーパーがなくて新聞紙が置いてあるだけ。もちろん水洗ではない。手洗いにぶら下がっている手ぬぐいらしき布は真中が真っ黒に汚れていて、とても手を拭く気になれない。大好きなボルシチはこの上なく不味かった。