「大前さん、そんな甘いもんじゃないですよ」

ヨーロッパから帰国して一週間後、初出社した8月21日はうだるような暑さだった。それでも国策による国産原子炉、それも高速増殖炉の開発を自分たちの手でやるんだという期待感のほうが心を熱した。

日立製作所の原子炉開発部は茨城県の日立工場にあった。戦後に作ったスレート屋根のバラック工場だった。

当時の日立工場には人事部はなく、人事や労務を担当していたのは「勤労課」と呼ばれる部署である。まず勤労課に挨拶に行くと、「人事部長がアメリカでスカウトしてきた大前さん、待ってました」という感じで歓迎された。気分は上々である。

挨拶回りを終えて、午後になって建物の2階にある原子力開発部に向かった。ここで高速実験炉の「常陽」(茨城県東茨木郡大洗町)や新型転換炉の「ふげん」(福井県敦賀市。2003年に運転終了)の開発、次代の高速増殖原型炉である「もんじゅ」(福井県敦賀市)の予備設計を行っていて、当時200人ぐらいの社員が働いていた。

しかし、私が顔を出したときには仕事をしている人はほとんどいなかった。噴き出す汗を拭いている人、団扇で仰いでいる人、大半はあまりの暑さに机に突っ伏してグッタリとしていた。

「どういう会社に入ったんだ」と思った。日立は確かエアコンも作っているはずである。それが職場に1つも設置されていないというのはどういうわけか。皆、暑さで参って仕事にならないのに。

最初の仕事は決まった。目の前で机に突っ伏している人たちがエアコンを入れて働いた場合の費用対効果を概算して紙の上にさらさらと書き、「エアコンを入れたらこれだけ生産性が上がる」という改善案を勤労課に持って行ったのだ。

「素晴らしい。アメリカで勉強してきた方は発想が違う」などと感心されたものだから、「まあ、これで良かったのかな」と思って職場に戻り、「おい、喜べ。エアコンが入るかもしれないぞ」と報告した。ところが反応が鈍い。返ってきた言葉は「大前さん、そんな甘いもんじゃないですよ」

しばらくして今度は先輩から「大前君、下(勤労課)に何か言ったの?」と聞かれた。エアコンを入れたほうが得だという話をしたと説明すると「何やら下で円卓会議をやっているぞ。生意気な奴が入ってきたからどうやってこらしめてやろうかって」

本人の前では誉めそやしておいて、陰でコソコソと焼きを入れる相談とは性根が腐っている。そんな会社に入ったつもりはない。

私はその場で辞表を書いて上司に提出した。会社員生活初日のことである。

次回は「炉心設計の仕事は面白かった」。5月21日更新予定。 

(小川 剛=インタビュー・構成)