私のセクシュアリティが知られると、90歳の祖父はショックで大変なことになるから、ともかく穏便にやり過ごしてほしい、という意向でした。
私を囲む食事会で、私自身の仕事とプライベート両方の話をはぐらかしながら、なんとか会を終えるというのは、一体どういう風にやればいいのだろうか、と考えあぐねてしまいました。そもそも、相手は私をもてなしているつもりでも、私にとっては苦痛でしかありません。
しかし、両親が理由をつけて会自体をなくすよう取り計らうこともなく、むしろ片方から「あなたのためにセッティングしたのだから」と言われてしまい、結局参加せざるを得ませんでした。
話題の矛先が自分に向かないように…
実際は、その会では、祖父が話好きということもあって、あまり私自身のことに深く言及されることはありませんでした。
何やら政治的なことをしていて(私の本業は「市民活動」で狭義の意味での「政治活動」ではないのですが)、大学でよく分からないけれど何かを教えているようである、という人に、何を言っていいのか向こうも話題に困るということだったのかもしれません。
「大学では何を教えているの?」などと聞かれることもあったのですが、「えーと、社会学、かなあ……」などと末尾がフェードアウトするようにはぐらかしていると、そこから自然と、従兄弟や祖父の最近の話題に移っていきました。
「よし! 話題をつなげない、話題を発展させない、ということに終始すれば、なんとか終わる!」そう思った矢先のことです。
その会は、祖父と叔父家族が同居する家のリビングの食卓で催されたのですが、私の席の後ろのテレビから、「SDGs5番」の特集なるものが流れてきたのです。振り返ると、翌日会う予定の性的マイノリティ当事者の方の特集番組が始まっているではないですか!
何やら食い入るように見る小学生の従兄弟、テレビをスルーし続ける他の親族たち。いつ何時この話題に移るかしれないと、張り付いた笑みを浮かべながら適当に話をあしらう私。
一つひとつの話題に神経を研ぎ澄まし、どの話題がどこにつながっていくのかを予測しながら、話題が発展しないように先回りして、できるだけ他の人の話題となるように誘導していく……。この努力は一体何なのだろう。
食事会を抜け出し、親から届いたメッセージ
そう思う私をよそに、私をもてなす、という親族たちの善意の思いやりはとどまるところを知りません。他方、私の心の中の冷や汗もとどまるところを知りません。
そこからの記憶は曖昧なのですが、結局、90分そこそこで、私は「人と会う予定があるから」と言い放ち、ほうほうの体でその場を後にしたことだけは覚えています。