「あなた、日本語を知っているフレンドいませんか、と聞きます。ちょこっと通じるから、誰々が何棟にいて、彼女は翻訳ができるとか、日本語が分かるとか言う。そこで、夜中だけどその人を呼んでもらいます」
深夜11時でもその場でトラブルを認識・解決させる
夜11時でも外国人住民に電話をさせる。すると、その友達は眠い目をこすりながらやって来る。この友達に通訳をしてもらいながら話を進める。
「仕事から帰ってきて、あなたはこれからだけど、外を見て。真っ暗でしょ。真っ暗な時は寝る。あなたの隣の人も上の人も下の人も寝ているんだよ。あなたにとっては昼かもしれない、だけど、みなさんは(手を枕のようにしたポーズをして)こうやっているんだから、水はこぼさないでね」
だが、水漏れしていることを気づかないこともあるという。
「水漏れは僕やっていないとかね、よく言われます。だから、『あなたの部屋の下、ポトポトポト、水がいっぱい流れている、ジャーっと流れている。だから見に行って』と必ず行かせます」
その際、髙笠原は外国人住民にこうお願いする。
「汚れても大丈夫なバスタオルを持っていきなさい。それで拭いてくるのよ」
このような心遣いが一つあれば、下階の人の不満もいくばくかは和らぐはずだ。
髙笠原は必ず当日に説明するという。
「次の日だとか2日後だとかなら、現場の状況をみんな忘れています。時間がかかっても、分かった? 分かった? と言いながら理解をさせる。そうやって、一回注意すれば比較的に直っていますね」
時には、深夜2時でも説明しに行ったことがあった。
「プリント一枚に注意事項を書けば済むと思うかもしれません。だけど、外国の人は全員が同じじゃないから。もちろん、基本的なことは同じだけれども、理解するのには国ごとに違ってきますから。マニュアルはあってないようなもの」
外国人住民が増えるにつれて深刻化したごみの分別問題
こうして一つひとつの問題を地道に対処することによって、現在は生活トラブルがだいぶ改善してきたという。
ごみ捨て関連でも相当な苦労があったようだ。1999年に可燃ごみは各棟の階段入り口付近のスペースに置くことが決まった。それまでは、複数棟に一つのごみ捨て場があったという。ごみ捨て場には、オレンジとグリーンに色分けしたコンテナが置かれて、可燃ごみと不燃ごみとを分けて捨てていた。
当初は特段の問題は起きていなかったようだ。しかし、外国人住民が増えていくにつれて、分別の間違いが増えていた。
色分けされたコンテナであれば、分別しやすいはずだが、分別の区分がコンテナに書いてなかったのだろうか。
「書いてあったんですが、『燃える』『燃えない』って日本語で。まだ、行政もそこまで、深く考えていなかったのかなあ」