次女の結婚にはどう対応するつもりなのだろう

だが、圭さんの母親の金銭トラブルが発覚してからは、「小室家側がきちんと説明し、国民に納得してもらう必要があります」(江森敬治『秋篠宮』小学館)といい続け、国民に祝福してもらわなければいけない、そうでなくては納采の儀を行えないと、2人にメッセージを送り続けていたのに、無視されてしまった。

親としてこれほどの無念はなかったであろう。秋篠宮家の放任主義教育が批判にさらされ、次代の天皇になる悠仁さんの帝王学を秋篠宮に任せておいていいのかという声まで出てきた。

『秋篠宮』の中で、秋篠宮家の基本的な教育方針を江森はこう書いている。

「男子も女子も分け隔てなく子供を育てる姿勢が一貫している。悠仁親王が生まれた直後の〇六年秋に行われた記者会見で、秋篠宮は、『基本的には長女、次女と同じように接するつもりでおります』と、息子への教育に対する姿勢について答えた」

教室
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学習院という狭い中だけではなく、他の学校で学ぶのもいい経験になると、娘たちも息子も、違う学校に通わせた。開明的な秋篠宮家の子育ては、眞子さんの結婚問題が起きるまで好意的に受け取られてきた。

同じ本の中で、長女と次女への接し方について、こう反省もしている。

「やっぱりね、私みたいに怒りっぽい父親だと……」「どうしてもね」「よくないですね、そこはね」

「長女のようにはさせない」と考えても不思議ではない

次女の佳子さんは、20歳を迎える前の記者会見で、自分の性格について、

「長所は自分では余り思いつきません。短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます」

と語っている。

一見おっとりしているが思い込んだら梃子てこでも動かない長女、自分と同じ瞬間湯沸かし器のような次女。長女は親の胸の内を忖度そんたくすることなく、結婚してニューヨークへ旅立ってしまった。次女は、皇室から抜け出して自由になりたいという思いは、姉よりも強いようだ。

だが、二度と長女のような、国民の大多数に祝福されない結婚をさせてはならない。そう秋篠宮が考えたとしても不思議ではない。

これは私の勝手な推測だが、そのとき秋篠宮の中にいくつかの選択肢があったのではないだろうか。皇族としては奔放な生き方をしているように見える佳子さんには、これまで付き合っている彼氏が何人かいたはずだ。

学習院関係者を通じて持ち込まれた縁談もあっただろう。姉が婚約内定の記者会見をしたのは25歳のときである。27歳は決して早くない。