試合に出ないなら、スポーツではない
「試合に出ない野球選手」を生み出す背景にも甲子園の存在がある。甲子園大会は春も夏も、その他の大会も「一戦必勝」のトーナメントだ。
1試合も負けられないから、毎試合エースを起用し、ベストメンバーを組むしかない。怪我、故障がない限り控え選手は出場機会がない。予選や春秋の県大会も同様だ。エースの酷使、レギュラー選手の消耗を生む一方で、大量の「出場しない選手」も生み出しているのだ。
「いや、試合に出るだけがチームへの貢献ではありません。声援を送る、試合に出る仲間に飲料を運んでやる、練習相手になってやる。それも立派な野球です。私はそういう選手の親御さんに『息子さんは3年間立派に頑張りましたよ』というんです」
ある監督は平然とそう言った。
筆者は思わずその顔を見返したが、選手や親の中にはそれで納得する人もいるのだ。いかにも日本らしい風景だと思う。
ある男性は、面識がない筆者にわざわざ連絡をしてきて「僕は高校でも大学でも1試合も出ていませんが、ずっと野球部で仲間のために頑張った。おかげで社会人野球に進むことができたし、引退後は一流企業のサラリーマンにもなれた。だから、後悔は一つもありません」と言った。
この人にとっては野球はスポーツではなく、処世術だったということになろうか。
日本の部活全てに共通する補欠問題
野球だけではなく、日本スポーツは「試合に出ない部員」をたくさん生み出してきた。
それは戦前から、高校野球(当時は中等学校野球)に倣って多くのスポーツが全国大会を開催しトーナメントなど一戦必勝で雌雄を決してきたからだ。
8月はインターハイのシーズンでもあるが、競技場のスタンドでは、選手に声を合わせて大声援を送るユニフォーム姿の部員がいる。中には「来年は私も」と思う下級生もいるが、今年が最後の3年生もたくさんいるのだ。
サッカー指導者、解説者のセルジオ越後は自著『補欠廃止論』(ポプラ新書)で、自身が教育を受けたブラジルには補欠も見学も存在しないとし、日本式の試合に出ない部員を生む部活について「練習ばかりしていても子供は伸びない。試合に出てこそ成長する」「試合に出してもらえない子を“忍耐力”と褒めるから競争力のない子が育つ」「団体競技で日本が弱いのは、日本に補欠制度があるからだ」と指摘する。
高校野球など部活スポーツの勝利至上主義が、試合に出られない部員を生んでいる。それは、競技のすそ野を自ら削り取る行為であり、多くの子供の可能性の芽を摘み、スポーツそのものの発展を阻んでいる。