官邸に押しかけ、首相を怒鳴りつける
田中新一参謀本部第一部長の怒りは収まらず、ついには首相兼陸相の東條英機の官邸に押しかけるまでに至った。この時、参謀次長の田辺盛武は東條に呼ばれて船舶問題の話をしていたものの、田中や種村などは呼ばれていないにもかかわらず、官邸にやってきたのである。
ここでも田中は東條と激論に及び、田中本人の言葉によると同席した次官の木村兵太郎に対して「馬鹿者共」と罵声を発したという。〈田中新一『作戦部長、東條ヲ罵倒ス』による〉ここまでくると、もはや陸軍省と参謀本部間で調整するという話ではなくなる。
服部は東條の官邸までは行かなかったものの、参謀本部の作戦課長として今まで船舶徴傭に関して譲らず、上司の田中と同意見だった。軍務局長と殴り合い、総理の官邸まで押しかけて罵声を飛ばした田中と共に、服部もまた、その職に留まることはできなかった。
12月14日、服部の第二課長更迭と、陸軍大臣秘書官となることが発令された。これを「青天霹靂の如し」「頗る悲痛なり」と、戦争指導課長の甲谷は慨嘆している。
さらには、ガ島から戻っていた辻政信はこれに「大いに憤慨」し、「一日も現職に留り得ずと強調、大に慰留するも却て興奮す」という有様だった。改めて、服部と辻の2人の信頼関係が、相当強固なものであることを示している。
ひとつ注目したいのは、東條に直接談判した田中が南方軍付として中央から飛ばされたのに比べ、服部がその東條の陸相秘書官となっていることだ。田中の誰彼構わず自論をぶつける姿勢に対し、服部のそれは同じ意見でも、姿勢は田中ほど過激ではなかったということだろう。
ここに、服部の強みが見て取れる。作戦課長という地位から離れたにも関わらず、権力者の近くにいることができたのだ。
ただし、服部や田中が拘ったガ島奪回については、結局これを放棄することが決まった。
敵前での撤退は相当な困難を伴うとされたが、奇跡的にこの作戦は成功する。ガ島攻防戦はミッドウェー以上に人員、物資共に消耗し、まさしく大東亜戦争の「転期」とも言える戦いとなったのである。