一獲千金を夢見て富札を買った江戸っ子にとっては当選金もさることながら、富札一枚の値段が一番の関心事だったはずだ。いくら元手があれば億万長者になれるのか? その値段にはかなりのばらつきがあった。

安藤優一郎『大江戸の娯楽裏事情』(朝日新書)
安藤優一郎『大江戸の娯楽裏事情』(朝日新書)

感応寺など江戸の三富の場合は一枚が金二朱というから、一両の八分の一(およそ一万二千円)にあたる。庶民にはかなりの高額だった。他の寺社の場合はその半額の金一朱、さらに安い銀二もんめ五分(金一両=銀六十もんめと換算して一両の二十四分の一)という事例が多かった。現代の貨幣価値に換算すると、約四千円となるだろう。

現在、宝くじは一枚三百円が相場であるから、結構高額と言えよう。江戸っ子にとっては、どんなに奮発しても一枚買うのがせいぜいである。

そのため、数人から数十人で共同購入する事例も多かった。この購入方式は「割札」と呼ばれた。発行枚数は富札の価格と連動している。富札が高額ならば総枚数は三千~五千枚、低額ならば数万枚という計算になる。

富札は富突が行われる会場、つまり寺社の境内で購入するのが原則だが、実際は門前の茶屋などでも販売されている。江戸市中でも販売された。

場外売り場である販売所は「札屋」と呼ばれた。こうした販売方式は「中売」と称されたが、幕府はこれを認めない立場を取っていた。

江戸っ子の娯楽、寺社の金策、幕府の財政難…

中売方式の場合、札屋側は原価ではなく、手数料を上乗せして販売することになるため、そのぶん高額となる。

しかし、幕府が許可を与えた興行である以上、高値での売買を見逃すわけにはいかなかった。「影富」で使われた札が販売されているのではという懸念もあった。

いずれにせよ、不正に目を光らせる幕府の立場からすると、販売所は限定されていた方が取り締まりやすい。

しかし、できるだけ多くの富札を売り捌きたい寺社側としては、境内での販売だけでは心もとない。実際、売れ残ってしまう。だから、販売所は多ければ多いほど望ましかった。買う側からしても、その方が購入しやすい。

興行数が大幅に増えた文政期には、一つの町につき販売所が三、四カ所もあった。そうした販売網の広さが富突人気、そして興行を支えていた。

富突を成功させるには、札屋などの営業力は不可欠だった。赤字を出さないことはもちろん、黒字つまり利益を得るためにも、できるだけ富札を売り捌いておかなければならない。よって、中売方式を認めない幕府の方針は骨抜きにされてしまうのである。

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