手持ちのない客には「運賃未払い」での搭乗を許可

続く問題は、緊急避難のため現金を持ち合わせていない乗客への対応である。銀行は閉鎖され、現金は引き出せない。特に留学生はそうだった。

尾坂はこれについて、帰国を最優先するため、パスポートをコピーし、あるいは名刺にパスポート番号と運賃請求先を記入してもらい、帰国後速やかに全日空のカウンターで支払ってもらう約束を交わし、運賃未払いのままの搭乗を認めた。平満支店長は「お客様に一刻も早く無事にご帰国いただくことを全ての判断基準とする」という尾坂の意見を尊重してくれた。しかし本社対策本部に報告すると、元北京駐在の担当者はしばらく沈黙。

「おまえ本当にやってしまったのか」

「本社では想定していないこと、とんでもないことをしたらしい。いつ空港閉鎖になるかわからない。非常時のハンドリングと自ら言い聞かせ、組織人としては終わったことを自覚した。もう北京での仕事はないだろう、懐かしい日々が去来した」(「尾坂手記」)

日本大使館から「外国人をなぜ搭乗させるのか」と叱責

6月7日、ANAは定期便で134人を運んだほか、北京発羽田行臨時便を2便出し、それぞれ528人、324人が搭乗した。

尾坂の手記によると、この日の搭乗手続きを終えてから、支店長の平満は日本大使館公使から次のような趣旨の電話を受けた。「叱責」だった。

「全日空便(定期・臨時)には外国人がおよそ200人はいるではないか。日本政府の要請した臨時便であるにもかかわらずどういう訳か」

尾坂は平に呼ばれ、事情を説明し、外国人を乗せた人道的判断については理解を得たが、平は「本社に正式の抗議があるだろう」と述べた。尾坂のもとにも、同郷で懇意にしていた日本大使館文化部長から電話があり、「非常に困ったことをしてくれた。これでは庇えない」と言われた。

事の発端は、ANAのカウンターに、なぜか外国人が次々と並んだことだった。臨時便は、日本政府が要請したものだが、費用も政府持ちではなく、航空会社の判断で増便した形だった。尾坂が聞いたところでは、JALは臨時便について日本政府の要請であり、「邦人優先」でハンドリングしていた。こういうこともあり、外国人がANA便に集まったのだという。