空港と交渉すると、即金で支払えば、VIPルームを提供してくれるという。幸い現金なら、帰国便航空券を購入した乗客からの代金が十分にある。VIPルームには空調やソファもあり、柔らかいカーペット敷き。空港の冷たいロビーより快適だ。尾坂らはVIPルーム全室に当たる5~6室を借り上げ、留学生に提供し、翌日便の搭乗手続きも行い、搭乗券も手渡した。
「大使館がVIPルームを手配したことにしてほしい」
日付が変わり6月8日午前2時。
尾坂らは臨時の宿泊ホテルである空港に近い麗都飯店に向かう準備をしていたところ、大使館員が空港事務所を訪ねてきた。
「留学生がVIPルームにいるが、誰が手配したのか」
ANAで手配し、支払いも終了していると説明したら、館員はさらに尋ねた。
「領収書はあるか。本件は大使館が手配したことにして欲しい」
結局、北京空港所長から指示があり、大使館側に領収書を渡し、後日支払いも受けた。尾坂は手記にこう記した。
「釈然としないものが残る」
食い違う大使館の記録とANA社員の手記の内容
6月13日の中島大使発外相宛公電「邦人保護(当館が行った邦人救援活動)」は邦人保護のために大使館員が行った奮闘ぶりが描かれているが、「今回の邦人退避には日航及び全日空の協力が極めて大きく、両航空会社の協力なくしては今次作業は遂行しえなかった」と記されている。
日本大使館としては、パスポートを学校などに置いたまま空港に来た留学生をはじめ邦人50人弱に対して「帰国のための渡航書」を発給すると同時に、現金やクレジットカードを所持していない留学生らには「日航、全日空と交渉して金銭の持ち合わせのない者には借用証を入れることで航空券を入手出来るよう手配した」としている。
大使館が主導して対応したような書き方である。尾坂の手記と事実関係が食い違うのは次のVIPルーム借り上げのくだりである。同公電はこう記録している
「7日は、北京より帰国する邦人のピークとなり、定期便2便、臨時便4便にても約100名(婦女子、病弱者、老齢者を優先的に乗せたためほとんどが留学生)の積み残しが発生。これらの者を深夜空港から再度市内ホテルへ移送することは極めて危険な状況であったので、当館では館員数名を派遣し種々慰問するとともに、空港内VIPルームを手配、右に宿泊せしめるようアレンジした。当館館員も留学生と共にVIPルームに宿泊(他の中国人、第三国人らはコンクリートのロビーにごろ寝した状況であった)」
繰り返しになるが、尾坂によると、実際に手配したのは「当館」ではなく、ANAであり、大使館は同社に大使館が手配したことにしてほしいと依頼したのだ。