2年生、10年1月2日。前年と同様、首位明大との時間差は4分半、7位での受け継ぎであったが、6人をゴボウ抜きして首位でゴールインする。自身の持つ区間記録を更新する「会心の走り」であった。東洋大チームは総合2連覇を果たす。
箱根を前にしての調子はいまひとつ。体調は悪くなかったが、感覚的なところで乗り切れない。なんだか嫌だな、という気分がつきまとっていた。
プレッシャーもあった。1年時はいわば無心で走って結果を残せたが、2年目は雑念も入り込む。あいつは1年だけで終わる一発屋だ、という声も聞こえてくる。そうなると逆に、ようし見ていろ、見返してやるぞ、と思う。ここ一番を迎えるとエンジンが全開する。集中力、あるいは勝負根性と呼ばれるもの。それが柏原という選手のもっとも秀でたところであろう。
──走ることへの情熱はどこからきているのでしょう。
「僕は走ることに関しては、悪あがきするというか、諦めが悪いんですよ。子供のころは野球選手になりたいと思っていたけれども、サイズや運動神経に秀でているわけじゃない。勉強ができるわけでもないし、自分にはこれという誇れるものがない。陸上にしても向いているのは長距離だけ。だからでしょうね、自分ができるたった一つのこと、走ることだけは頑張れるし諦めたくないと」
──人は誰も一つのことには頑張れるという言葉がありますよね。
「ええ、きっとね。ここに自分の居場所があるといいますが、だからこれについては諦めないぞと思う。僕にとって走ることはリミッター(限界値)を超えて頑張れることだったのです」
どうしても諦めない、諦められないと思う対象とどう出合うか。それが青春という時代の意味なのだろうと思う。柏原はそのことに出合えた若者だった。
※すべて雑誌掲載当時
(若杉憲司=撮影 PANA=写真)