1年生時の5月、関東インカレで、1万メートルを28分台、5000メートルを13分台で走って注目される。その後も実績を重ねて箱根駅伝のメンバーとなるが、5区は自身希望した区間であった。尊敬する先輩、今井正人が走っていた区間であったからだ。
今井正人。柏原より5学年上の順天堂大(現トヨタ自動車九州)のランナーであるが、5区のスペシャリストで、「山の神」とも呼ばれた。箱根駅伝での最優秀選手に与えられる金栗四三杯を3度獲得している。金栗は、日本人としてのはじめてのオリンピック、ストックホルム大会(1912年)に出場したランナーで、「マラソンの父」と呼ばれる。箱根駅伝の創設者でもある。
柏原の今井への尊敬の念は、強い走りっぷりとともに、同じ福島県の出身者であることに由来する。
箱根駅伝を前にして、監督・コーチが選手たちに与えた目標は「3位以内」ということだった。チーム力は充実していたが、優勝経験はない。過度のプレッシャーを与えまいとする配慮でもあったのだろう。
2009年1月2日。5区の柏原がタスキを受けた時点での順位は9位。先頭を行く早大チームとの時間差は5分近くもあった。前を行く8人を次々に抜き去り、往路トップでゴールした。タイムは今井の区間記録を上回る1時間17分台。「新・山の神」の誕生であった。翌日、東洋大チームは復路の最終ランナーもトップで帰還し、初の箱根制覇を果たした。
「3位以内で、とは言われていたけれども、やる以上はトップ、優勝しなきゃ意味がないって思っていた。僕はフォームもきれいじゃないし、スマートなレースプランができる人間でもない。とにかくトップに出るためにがむしゃらに走った。気持ちだけでもっていったレースでした」