歯軋りしながら是正してきた

賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶという。私はまだ愚者だから、経験から学ぶことが多い。失敗の経験を繰り返し、歯軋りしながら是正してきたというのが実情だ。

1973年、第一次石油ショックのときにTDKは赤字に転落し、希望退職者を募ることになった。退職者のさよならパーティーには当時の社長もかけつけた。そのとき、強気で鳴らした社長がベンチの隅で「残念だ。経営者として情けない」と号泣したのである。

それから30年近く、私がはからずも社長に就任してすぐに、TDKは再び危機に見舞われた。ITバブルに浮かれ、エレクトロニクス業界が“茹でガエル”状態になっていたのだ。ワークシェアリングの案もあったが、それでは会社が沈没してしまう。仕方なく希望退職者を募ったのである。

私も辞表を出そう、と覚悟した。すると「相談役が嘆いているぜ」と耳に入れてくれる人がいた。30年前、号泣したあの社長である。腹を決めて謝りに行き「環境が悪いといいますが、私はTDKの責任者として申し訳ないと思います」といった。

「それがわかっているのか。まあ、しっかりやれや」

怒っているのではなかった。それだけ責任が重いことをわかっているか、と念押ししたかったのだ。

辞表を出す代わりに、会社への恩返しのつもりで社業に邁進し、回復への道筋をつけることができた。6期連続の増収増益を実現したのである。

だが、これもまた錯覚に過ぎなかった。あとから気づくと、その間、世界全体のGDPが年5%も成長していた。バブルが発生していたのだ。おかしいと思っていたが、準備が整わないうちに2007年、BNPパリバ・ショックが起きてしまった。直後に欧米のアナリストや投資家の発言が変わった。それまでは「現預金が多すぎる、自己株消却をすべきだ」といっていたのが、「資金が必要なときの財務政策を考えているか?」と逆転したのだ。

このときの鮮烈な印象とITバブルの経験があったので、翌年のリーマン・ショックにはいち早く対処することができた。資金を確保するだけでなく、ステークホルダーにメッセージを発し、始まったばかりの中期計画を全面的に見直した。そのため09年6月から黒字に転じることができたのである。

だが、雇用流動性が高いとはいえ、中国で雇用調整を行ったことは悔やまれる。また、いまのバランスシートはあるべき姿からはほど遠い。つくづく思うのは、学んで結果を出すのは、たいへん難しいということである。

※すべて雑誌掲載当時

(面澤淳市=構成 佐粧俊之=撮影)