仏教は「怒ってはいけない」と教えている。なぜなのか。初期仏教の伝道師スマナサーラ長老は「怒りは殺人や戦争にも結び付く危険な感情で、決して放置してはいけない。怒りは他人だけでなく自分の幸せも破壊していることに気づくべきだ」という――。

※本稿は、アルボムッレ・スマナサーラ『怒らないこと』(大和書房)の一部を再編集したものです。

ポスト黙示録的な都市景観
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怒りとは拒絶のエネルギー

我々が、何かを見たり聞いたり、味わったり嗅いだり、それから考えたりしたものに対して生まれる「嫌だ」という拒絶の感情が怒りです。「これは食べたくない」とか「あの人とはしゃべりたくない」とか「あっちへは行きたくない」とか思うエネルギーを「怒り」というのです。

拒絶のエネルギーが強烈になってくると、ひどいことになります。

「あの人とはしゃべりたくない」とか「つき合いたくない」と思うくらいであれば、まだわずかなエネルギーですが、「見たくもない」とか「いてほしくもない」とまで思うようになると、それはすごく強烈な力を持つようになるのです。

それがどんどんエスカレートしてしまうと、「あの人は今、自分の目の前にはいないが、この日本のどこかに元気でいることが我慢できない」となって、どうにかしてその人を殺そうとまで思ってしまうのです。

人間の怒りというものは、そこまでエスカレートしてしまうのです。自然も社会もなんでも破壊することだってできてしまうのですよ。

しかし、「怒り」というのは、その人の心の中から生まれてくる感情ですから、ひとつだけは言えます。

「自分を直すことができれば、怒りから逃れることができる」

そう、やっぱり自分しだいなのです。