怒るのはしょうがないことなのか

こういうふうにお話しすると、「自然に生まれてくるのが感情なのだから、いいのではないか」と言う人もいるでしょう。

花を見たら「きれいだ」と思う。ゴキブリを見たら「嫌だ」と思う。さばいてある豚の肉を見たら「ああ、おいしそう」と思うけれど、蛇を殺してぶつ切りにしているのを見たら「ああ、気持ち悪い」と思う。「そんなの当たり前だ」と思う人も多いはずです。

日本ではよく豚肉を食べますが、同じアジアである中国や韓国にくらべると、頭や足を食べることは少ないですね。焼いた丸ごとの豚の頭がテーブルに出てきたり、豚の足がそのままの形で料理してあったりしたら、どうでしょうか。べつにはっきりした理由があるわけではないのですが、あまりいい気持ちにはならないし、何か食べる気にはならないでしょう?

タイの屋台市場で焼き豚子豚を焙煎します
※写真はイメージです(写真=iStock.com/intek1)

でも、だからといって「そう思うのは自然なことだ。怒るのも愛情が生まれるのも、人間なんだから仕方がないじゃないか」と、自分の感情を無条件で肯定してしまうと、どうなるでしょうか?

「そのままでいいんじゃないか。本能だから、怒るのも仕方がない。人間なら怒るのは当たり前だ」と思うまで半歩もありません。それでほとんどの人は自分のこともあきらめて、「私はすぐ怒りますよ。それは人間の本能だから、仕方がないんです」と開き直っているのです。

たしかにそれはそれで人間の考え方のひとつです。「怒りは人間の本能的な感情だから、自分が怒るのも悪くない」と決めてしまえば、何も努力しなくていいのだから、ややこしいことはありませんね。

怒っている人は「喜び」を感じられない

でも、問題があるのです。もしある人が、いつも怒っている性格だとしたら、その人は一生何を感じることになりますか?

「怒り」が生まれると「喜び」を失います。ですから、その人はずっと不幸を感じることになるのです。せっかく人間に生まれたのに、わずかな喜びもまったく感じない、文句だらけの不幸な人生なのです。

それは、ちょっとかわいそうではないですか? 「それはあなたの性格だから仕方がない。そのままでいいのですよ」と突き放してもいいのですが、やっぱりかわいそうでしょう?

人間には、仕事をする喜びや子供を育てる喜び、元気で頑張る喜び、みんなと仲良くする喜びなどの「生きる喜び」というものがいくらでもあります。それに今の世の中には、おいしいご飯を食べたり、どこかに旅行に行ったり、きれいな服を着ておしゃれをしたりする喜びや楽しみもあります。いつも怒っている人には、そんな喜びがすべて関係ないものになってしまうのです。

たとえば、文句だらけの人と一緒に旅行や食事にでも行ってみてください。その人はきっと、こちらまで苛立つほど文句ばかり言って、何ひとつも喜びを感じないはずです。まわりから何ひとつも喜びを感じようとしないから、普通は楽しいはずのことをしていても、やっぱり不幸なのです。そして、一緒に行く人まで楽しくなくなってしまうでしょう? だから、そういう人はまわりの人にとっては、このうえない迷惑です。「怒るのは本能だ」と放っておくわけにはいかないのです。

喉が渇いているときには一滴の水でもありがたいものです。

一滴の水
写真=iStock.com/RapidEye
※写真はイメージです

人間が感じる幸福も、それと同じです。

生きるというのは、このからだを支えているのですから、それだけでたいへんです。その苦しい人生の中で、我々には一滴の水のようなちょっとした喜びがあります。仕事をしているときは、苦しくても「仕事をしているんだ」というちょっとした充実感や幸福感、うまくいったときの達成感があります。子供を育てることもたいへんですが、そこには「すごくかわいい!」「私の子供なんだ」という愛情、成長を見る喜びがあります。

だからこそ、頑張れるのでしょう? そんな喜びも捨ててしまったら、人間は人間らしく生きていられなくなるのです。