はたらく、に個性はいらない?

入社3年目になると徐々に余裕が出てきたこともあり、ぼくは自分の働く環境に目が向くようになっていました。

最初に疑問を持ったのは「場所」と「時間」の柔軟性についてです。

新型コロナウイルスの影響もなかった当時、ぼくには在宅勤務が許されていませんでした。全社的に見ても、制度を使えるのは一部の人にかぎられていました。

基本的にパソコンしか使わない事務系の仕事でもかならず愛知県豊田市の本社で勤務しなければならず、東京や地元で働きたいががまんしている、という同僚や先輩はたくさんいました。

働く時間についてはフレックスタイム制が導入されており比較的柔軟でしたが、同期・先輩たちを見ると、みんな一律でしっかりと残業している(もちろん法定の範囲内ではありますが)ことに違和感を覚えました。

夜のオフィスビル
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「変わらないのは理由がある」問題意識は胸にしまった

人によっては早く家に帰って勉強したいだろうし、プライベートな時間を大切にしたいという人もいます。給与が減っても週4日や3日の勤務でいい、という人だっていると思います。当時、すでに時短勤務制度はありましたが、対象となる理由が育児に限定されていました。

働く場所と時間、いちばん基本的な労働条件なのに選択肢が少ないのはなぜだろう。働く人が持つ多様な個性を重視することは、会社に必要ないのだろうか。

上司や先輩に聞いてみると、「コミュニケーションがとりづらくなるとか、安全配慮の観点とか、評価とか、リソースとか、いろいろ理由があるんだよ。おまえももっと知識や経験をつけていけば、いずれわかるよ」と言われました。

たしかに、なにもわかっていないのに愚痴を言うだけの若手にはなりたくありませんでした。「問題意識は一旦、胸にしまって、目の前の仕事を誠実にこなそう」そう心に誓って、働き続けました。

「会社に全て捧げる」「上司は絶対」組織風土への違和感

しかし、それから1つひとつ任された仕事に取り組んでいくなかで、今度は社内の「コミュニケーション」や「風土」とも呼べるものに対して、もやもやを感じるようになっていきました。

ぼくは全社のコミュニケーション施策を担当していたこともあり、日頃から、本当にさまざまな部署の人たちと話をする機会がありました。

もちろん日本一巨大な会社ですから、部署ごとに、あるいは、そこを束ねる上司によって職場の雰囲気は違ってきます。

しかし、会社にすべてを捧げることがよしとされ、会社や上司の命令には絶対に逆らえない、という空気感は、おおむねどの職場にも共通しているように思いました。そして、それが仕方のないものとして、どちらかといえばデフォルトな考え方として据えられているように感じました。

すべての力を会社のために注ぐ、というのもすばらしいことですが、それ以外の距離感が許されない、選択できる余地が少ない、ということを息苦しく感じている、あるいはそのことによって職場の輪に入りにくそうにしている人が、特に若手層には多くいるように見受けられました。