「イシ」と言わなくても声色で「石」を示すことはできる

そんな中、この言語起源の問題に関して示唆に富んだ言語学の研究が報告された。この実験では、英語話者に「石」「果物」「良い」「切る」のような30の単語を提示して、言葉は使わずに、その単語を「声色」だけを用いて表現してもらった。しかも、この実験、賞金を懸けたコンテスト形式で行ったのだ。「一番上手く表現したチームには、1000ドル(約10万円)払います!」と。いやぁ、人の競争心をくすぐる上手い方法じゃないですか。

多くの人が参加し、素晴らしい声色を披露した。その声色を別の英語話者たちに聞かせ、「今聞いた音は、どの単語を指していると思いますか?」と推測してもらったところ、一番表現が上手だった人の声色からは、かなりの程度で正しい意味が推測できることが判明した。

次の実験には、私も日本代表として参加した。上の実験で録音された様々な声色を、英語話者だけでなく、全部で25の言語の話者にも聞かせ、その意味を推測してもらったのである。対象となった話者は、日本語、韓国語、ドイツ語、さらには西洋文明とはあまり関わりのない文化背景の人も含まれていた。この大規模な実験の結果、言語や文化の壁を越えて、声色のみから意図されている30の単語の意味がそれなりに推測できることがわかった。

言語の壁を超えて“感覚”は共有されている可能性

繰り返しになるが、音声を発したのは英語話者で、表現は声色のみを用いて行われた。つまり、ヒトは「イシ」や「クダモノ」といった単語を発音することなく、声色のみによって、その指し示す意味を模することができ、その感覚は言語の壁を越えて共有されている可能性が浮かび上がってきたのである! これってけっこうすごいことだ。単語を使わなくても、意味を指し示すことができるのだ。先ほど紹介したお風呂の中での娘との会話が思い出される。

この実験で示されたような、「音」が「意味」を模す現象のことを「音象徴」と呼ぶ。私は、言語進化の謎の探究とはまったく別の理由で音象徴の研究をしていた。そのまったく別の理由とは「言語学入門の授業をつまらなさそうに受けている学生たちの顔」である。もともと言語に興味を持っている学生はいい。でも、そんな学生は残念ながら少数派だ。

そうではない学生たちの興味を引くために、楽しい話題を探しまわり、秋葉原に行ってはメイドさんの名前を分析し、娘たちと遊びながらプリキュアの名前を研究した。私が音象徴を授業で扱うようになってから、学生の目のキラキラ度が上がった気がする。オンライン授業だとキラキラした目は見えないけど、たぶんキラキラしているに違いない。