「良い常識人」は革命期の提案競争を勝ち抜けない
情報革命の中で、とりわけなぜシリコンバレーが勝利者になったのだろうか。
革命期には、新しく立ち上がった技術を使って我々の生活、それを支える社会、経済や政治構造を作り変えていく必要が生まれる。そこで起きるのが提案競争だ。
革新的な提案のできる人は「バカ者、若者、よそ者」の天才たちだ。なぜか。彼らはいわゆる常識を持たない。既成概念にとらわれず、今までとは異なる見方ができるからである。
日本のビジネスパーソンは「良い常識人」が多い。礼儀正しく、世の中の常識に固まっている。残念ながら、こういう人にイノベイティブな発想は生まれにくい。
提案はどれかが選ばれて勝ち残るが、他の大多数は死ぬ。つまり競争に成功するのはほんの一握り。多産多死のなかで勝ち抜いた者だけが生き残るルールである。
となると成功例を増やすには、大きな提案者の母集団を作る必要がある。母集団が大きければ、その中から成功者が多く生まれる理屈だ。シリコンバレーには夥しい数のベンチャーが立ち上がるインフラがある。それを最初に創ったのが、スタンフォード大学である。
スタンフォード大学の最初の成功例はHP
詳しい事情はシリコンバレーの本に譲るが、今から80年ほど前、スタンフォードは二流の大学だった。米国西部には企業が少なく、卒業生は就職のために東部に赴かざるを得なかった。そんな事情を変えたいと、同校の教授が大学院の学生二人に起業を勧めた。これが最初の成功例となる。ヒューレット・パッカード社(HP)である。
HPは1939年、指導教授の勧めで二人の研究テーマだった計測器を事業化するために設立された。その立ち上げ資金は教授が出してくれた。二人が創業したガレージは今も残され、ここが「シリコンバレー生誕の地」と公式に認定されている。
大学もこうした取り組みを強力にバックアップした。広大な敷地に、インダストリアル・パークを作り、ハイテク企業を誘致し、産学共同を推し進めた。そのパークの中に、ジョブズがインパクトを受けたゼロックスPARCがあり、NASAや半導体企業の研究所、そしてベンチャー・キャピタルも集まってきた。
シリコンバレーという名は、シリコンチップ(半導体)からだが、半導体の雄インテルなどの成功に由来している。こうしたプレイヤーの掛け算から、ベンチャーが大量に立ち上がるインフラができ、革命期の中で繁栄を遂げたというわけである。