毎年複数人のペースでジャーナリストの命が狙われる

転落死したボロジン記者は、このワグナー・グループについて取材し、シリアで死亡したロシア人傭兵のうちの3人が、ウラル地方のスベルドロフスク州出身だったと報じていた。また、その他にも反プーチン派の有力な民主派活動家であるアレクセイ・ナワリヌイとともに関連する記事もいくつか書いていた。こうした彼の仕事はプーチン政権からすれば邪魔なものだ。

ボロジンが当局に暗殺されたとの証拠はない。しかし、ロシアでは政府に批判的なジャーナリストが襲撃されたり暗殺されたりする例が数多い。犯人はほとんど検挙されていないが、エリツィン時代含めて1993年以降、ロシアで殺害されたジャーナリストは2018年までに少なくとも58人に上っていた。

最も有名なのは、プーチン批判記事で知られた『ノーバヤ・ガゼータ』のアンナ・ポリトコフスカヤ記者が2006年に自宅エレベーター内で射殺された事件だが、それ以外にもプーチン政権を批判しているジャーナリストが毎年複数人のペースで暗殺されるか暗殺未遂に遭っている。

中央アフリカ共和国で取材中の記者3人が銃撃

いくつか例を挙げると、2008年には、モスクワ近郊の道路建設の反対運動を報じたジャーナリストのミハイル・ベケトフが襲撃され、重傷を負った(2013年に死亡)。同じ事案を報じたオレグ・カシンも2010年に襲撃され、重傷を負っている。

2017年10月には、政権に批判的な論調で人気の民間ラジオ局「モスクワのこだま」キャスターのタチアナ・フェルゲンガウエルが勤務先で襲撃されて、重傷を負った。

2018年7月30日、中央アフリカ共和国で取材中だったロシア人ジャーナリスト3人が、車両で移動中に待ち伏せ攻撃を受け、殺害された。

3人はベテランのフリー記者であるオルハン・ジェマリを中心とする取材チームで、反プーチン派の億万長者(元オリガルヒ)であるミハイル・ホドルコフスキーが創設した調査機関「調査管理センター」(ICC)の依頼で取材活動をしていた。