民主主義を学ぶ沖縄の留学生にかけられた期待
ミルズ大学は、名門女子大として知られていた。緑の木々が生い茂り、自然に囲まれた美しい大学だった。到着後のオリエンテーションは、沖縄の学生だけを対象に、陸軍省と国際教育研究所、さらにミルズ大学の関係者によって、現地の学生がいない夏季休暇中に行われた。
その様子は、『明日を導く人々』という民政府の広報映画に描かれている。アメリカ民政府作成のその映画では、沖縄の留学生とアメリカ人学生や教員との友情、そして民主主義を学ぶ沖縄の留学生の姿が強調された。
オリエンテーションの初日、米留制度の目的が主催者側から留学生に伝えられた。1963年に配布された冊子には、ワシントン陸軍省公務課のマックケープ陸軍大佐から「琉球人留学生」へ、次のようなメッセージが述べられている。
「琉球人がこの国を訪問すること、そして勉学することの主な目的は、米国の伝統、理想及び行政機関に熟知し、また我々の目標と政策に共鳴する今日と将来の指導者を育成するためです」(United States Department of the Army, To Students from the Ryukyus, 1963)
米留制度の目的は、米軍側の目標と政策に関して共鳴する指導者を育てることであると明確に伝えられたのだ。
アメリカ人が指摘した「権力に対して特筆すべき程の従順さ」
同時に、オリエンテーションでの留学生の様子は、アメリカ民政府に報告された。
例えば、1954年にミルズ大学関係者によって作成された報告書には、31名の沖縄からの留学生を対象にしたオリエンテーションのプログラムに関して、以下の問題点が指摘されている。
「このグループには、劣等感と根強い自己防衛意識が人格的なものに散見されるが、それは孤立した出身地での経験からくるものであり、彼らは未だにそれに強く苛まれている。また、権力に対して特筆すべき程の従順さを持ち合わせている。それは、特にアメリカ軍の影響下のもと成人した琉球人学生に見受けられるが、占領そのものによるものではない。
しかしながら、占領はパターナリスティック(父権的温情主義)な影響を持ち合わせており、それが少なからず無意識に植えつけられ、個人の人格形成に影響を与えている」(Review and Evaluation 1954 Session, 1954)
沖縄の学生とアメリカの学生との間には「心理的な距離」があるとし、沖縄の学生がアメリカ人に対する劣等感を持っており、その接し方が極端であると指摘したのだ。