「中身がよければバズる」わけじゃない
例えば森林火災を考えてみると、それが燃え広がるか燃え広がらないかは、そのときのさまざまな変数やコンディションによっているわけで、誰も「そのきっかけとなった火種がすごかったからだ!」とは考えない。しかしながら、人が起こす社会現象については、何か自分が納得できる理由を探し求めてしまう傾向があると、ワッツは指摘する。
つまり、中身が良ければバズるといった見方は一面的なもので、実際にはそれでは捉えきれない複雑系の現象にほかならない。アイデアが良ければ……有名人が広げれば……といった単純な話ではなく、そのときの他の競合ニュースの状況、情報を受け取る側の状況や気分、世の中全体のコンディション等々、森林火災同様にさまざまな変数が絡んで「バズる」か「バズらない」かが明らかになる。
しかし再度強調しておくべきは、バズは運で勝負する博打ではない。筆者が考えるバズのイメージは「0→1」のように起こるか失敗するかという二者択一の現象ではない。既にある「種」(SNS上での意見や感情の振幅を惹起する未顕在な話材)をわかりやすく伝わりやすいかたちにすることで共感を生み拡散させていく「1→10」のイメージに近い。
多くの人が無意識的に持っている「もやもや」を言語化、図示化することで共感が生まれ情報を拡散していくわけだ。それがどれだけ拡散するかは起こりやすさという確率のグラデーションの問題である。だからこそ、SNSの活用はユーザーの動向を把握することこそが第一義でなければならない。
情報との出会い方は、いまや「ググる」だけじゃない
スマホユーザーの拡大とSNSの普及は、誰もが発信者となる時代を築いた。SNSは、その定着の過程で人とつながり合う場という意味合いを超えて、「情報と出会う場所」という機能性を帯び始めていった。
筆者が担当したプロジェクトの成果をもとに2017年「若年層のSNSを通じたビジュアルコミュニケーション調査」という調査リリースを発表したが、その中でも、若年の女性ほど情報を探すときに検索エンジンだけでなく、SNSを頼る傾向を指摘した。現代の生活者は、検索する(=ググる)ことだけに頼らない情報との出会い方を日々体験するようになっている――そんな胎動が、この頃には見え始めていた。
SNSで情報を探すとき、鍵になるのはハッシュタグ(#)だ。ハッシュタグを使って、ユーザーは情報を広げたり、つなげたり、集めたりするようになっている。筆者は、そのようなSNSの利用法を指して「タグる」というコンセプトを提唱している。
タグるとは「ハッシュタグ」と「手繰り寄せる」という2つの言葉をあわせた掛け詞で、ユーザーが発信する情報をユーザー同士で集めたり役立てたりする収集行動を示している。これは、ユーザーに主導権が移る時代における情報拡散のかたちをあらわしている。
実際に、インスタグラムが公式に発表したデータによれば、日本のユーザーはハッシュタグ検索を世界平均の3倍使うという。すなわち、日本はタグる文化の中心地なのだ。情報との出会いは「ググる」から「タグる」へ、比重が変わりつつある。