「KAZU1」の乗員乗客か、国後島で見つかった遺体

同時に、島に住むロシア人も定期的に日本に訪れる。日本の一部の高校などでは、北方領土に住むロシア人高校生を受け入れている。ビザなし交流が始まってかれこれ30年以上が経過するが、政治的な隔たりがある一方で民間同士の信頼感は深まってきた。

しかし、2020年以降はコロナ禍によってビザなし交流は中止になっていた。そこにウクライナ戦争が勃発。日本側の経済制裁に対して、ロシア側が日本を敵視し始めた。ロシア政府は日ロで進めてきた平和条約交渉の中断を表明。日本政府も4月26日、交流事業の当面の見送りを発表した。

ロシア当局は今後、北方領土に島民が訪問する際は、ビザ取得が必要となることを示唆している。ビザを取得して北方領土に入ることは、ロシアに主権があることを認めることになり、日本の立場としては容認できない。事実上、元島民の故郷訪問や墓参はできなくなってしまったのだ。元島民の平均年齢は86歳を超えており、その方々の心境を思うと残念でならない。

国後島に残る日本人墓地
撮影=鵜飼秀徳
国後島に残る日本人墓地

今年4月には知床観光船「KAZU1」が難破。乗員乗客は海に投げ出された後、一部は国後島西岸にたどり着いたとみられる。海岸で女性と男性の2人の遺体がみつかった。

国後島での捜索は困難を極めるであろう。なぜなら、国後島は沖縄本島の1.2倍もの広大な面積がある一方で、島全体の人口はわずか8500人ほどと、人口密度が低いからだ。そのほとんどの住民が、東海岸の古釜布ふるかまっぷという港町に住んでいる。

国後島・古釜布の行政府の前にはレーニン広場があり、レーニン像が鎮座する
撮影=鵜飼秀徳
国後島・古釜布の行政府の前にはレーニン広場があり、レーニン像が鎮座する

国後島の西海岸線だけでも250キロメートルほどの距離はある。西海岸は断崖絶壁が多く、舗装道路も延びてない。国後島を含めた北方領土は野生動物の楽園である一方で、ヒグマも多く生息する。

さまざまな観点から、行方不明者を捜索するのは困難を極めそうだ。海上保安庁はロシア側との調整で、一部国後島海域での捜索を開始しているが、いずれにしても、ロシア当局の捜索協力が不可欠だ。

古釜布市街地や空港を結ぶ道路では、この5年ほどで舗装道路が整備されつつある。しかし、西海岸はほぼ原野状態だ。古釜布には大型船が寄港できる港、その南西部には旧日本軍が建設し2011年に改修したメンデレーエフ空港がある。この港や空港を拠点にして、サハリンからの定期便が就航。近年は、北方領土間でコミュニティヘリを飛ばすなど、アクセスが飛躍的に改善してきた。

2015年時点では国後島の古釜布中心部のみで進められていたアスファルト舗装の整備も、現在では郊外にまで広がっている
撮影=鵜飼秀徳
2015年時点では国後島の古釜布中心部のみで進められていたアスファルト舗装の整備も、現在では郊外にまで広がっている
かつては物資不足だったが、近年はスーパーができて物資も潤沢になってきた
撮影=鵜飼秀徳
かつては物資不足だったが、近年はスーパーができて物資も潤沢になってきた