だから民主主義は難しい

人間はむかし、民主主義というシステムをつくり上げた。すべての人の欲求や意見を尊重し、社会としての合意を形成するために、話し合ったり多数決をしたりして物事を決めることにしたのである。同時に、法という“飴と鞭のシステム”を設定した。良いことをした人は表彰し、悪いことをした者には罰を与えるために。

だが、民主主義は難しい。

なぜなら、多数決に従うと、同じ欲求を持つ者の数が多いほうが優勢になり、少数者の意見が顧みられなくなるからである。加えて、選挙(とりわけ直接選挙)は人気投票の面が強くなりがちである。

結果として人間はこれまで何度も独裁的な人物を代表者に選び、そのたびに大きな代償を払ってきた。

「ルールを守らない奴は悪人」という思考停止

しかも、飴と鞭のシステムでルール化すればするほど、人間は自分の頭で物事を考えなくなっていく。

もちろん、みんなで幸せな社会をつくるための最低限のルールは必要だが、ルールを階層化・精緻化し過ぎると、人はロボットのようにルールに従って生きていればいいだけになっていく。

コロナ禍の日本では、夜間外出などに対して罰を科せられるかどうかという議論があった。当初、若い世代に「仕方ない」「あってもいい」という意見が多く見られたのは意外だった。

もしかしたら、自分で考えるよりも、誰かに強制的に抑制されたほうが楽だという傾向が強まりつつあるのかもしれない。

だが、厳しい言い方をすれば、ただそのままルールに従うことはなにも考えていないに等しい。

大局観なく、どこかの誰かが決めたルールに従うことを強要する社会をつくってきた結果、「ルールを守らない奴は悪人だ」という短絡的な思考をする者が増えてきたとはいえないだろうか。

インターネットは「なんでもあり」ではない

実際、インターネットの掲示板やSNSを見ると、偏った考え方や短絡的な発言があふれている。SNS上での誹謗ひぼう中傷が原因で自殺したり心の病になったりする人が増えており、暴行事件による死傷者も出ている。サイバー空間は危険な世界になりつつある。

スマホのSNSアプリをタップしようとする指
写真=iStock.com/Victollio
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世の中に自動車が登場した頃、当然ながら交通事故が多発した。そこで、「このままではいけない」と考えて免許制度をつくり、教育(教習)を受けなければ自動車に乗れないようにした。

実際に被害が多発しているインターネットも同じだ。いまは誰もがインターネットを自由に使っているが、本来はもっと注意深く使うための倫理的な情報リテラシーを共有するべきだろう。

インターネットを使う人は「他人を中傷してはいけない」「感情に任せて攻撃的な投稿をしてはいけない」などのリテラシーを学んで免許証が発行されるくらいのことになってもいいくらいだが、まだそれはない。

「そんなものは自由を制限するからいらない」というのは、「自動車事故が多くても仕方ない」といっているのと変わらない。