すべてのテクノロジーは諸刃の剣である

もちろん、インターネットやSNSなどのテクノロジーにはポジティブな面もある。SNSがあるから無視されがちな小さな声も積極的に発信できるし、オンラインで他人とつながることが孤独を脱するきっかけになることもあるだろう。

だが、これらのテクノロジーを使うことの弊害も存在する。すべてのテクノロジーにはいい面と悪い面がある。たとえば、原子力が諸刃もろはの剣であることをわたしたちは知っている。インターネットもまた、使い方を誤ると危険があることを理解すべきだろう。

SNSを頻繁に見ていると幸福度が下がる、とする研究結果もある。実際のトラブルに巻き込まれなくても、ネットのニュースやSNSの情報を見て、誰かをねたんだりストレスを受けたり、場合によっては絶望を感じてしまう人も少なくない。

なんでもルールをつくって縛っていくと思考停止になるし、かといって最低限のリテラシー教育がなければ、自由という名のもとで、人間本来の「戦う本能」や欲望が野放しになる。

カギになるのは「倫理観」

だから、飴と鞭で統治するのではなく、人々の「倫理観」を育成すべきだ。他者を理解する想像力やリテラシーを育む倫理教育が必要なのではないだろうか。

ここでいう倫理観とは、知識として「いい人になるべき」という規範を教えるのではなく、心から偽りなく「いい人でありたいな」と思うような人を育てるということである。上辺うわべの知識ではなく、心からの実感を伴う体験である。

たとえば、怒りの感情を無理やり抑え込むとストレスになる。抑え込むのではなく、怒りは正義感から出てきたのか、利己心から出てきたのかを十分に吟味したり、その感情が出てきた自分を認めいとしんだり、どんな行動を取ることがベターか、どんな成長が自分には必要かを冷静にじっくり吟味したりして、論理と感性で理解すべきなのである。

俯瞰ふかん的・全体的に自分とまわりを見て、このケースでは怒るべきだったのか怒るべきではなかったのかを、に落ちたかたちで実感する倫理観である。

北欧でベーシックインカムの実験が成功したワケ

現在の世界で比較的うまくまわっている自由主義・資本主義のモデルは、北欧型の社会民主主義だろう。

個人が意見を自由に主張しながらも、みんなで高い税金を納めて教育費や医療費の無料化を実現していることには、国民の倫理観が関係しているというべきだろう。

彼ら彼女らは、高い税金が福祉や教育を通して自分たちに還元されることを理解し、国の政策を支持している。高い民度のもと、政府を信頼しているからこそ、高コストの大きな政府で秩序が保たれている。

ウェルビーイングの観点からも、北欧の国々が世界幸福度ランキングでつねに上位に位置することには、もちろん高福祉政策が関係している。

富裕層がより多くの税金を払うルールによって資源が適正に再分配された結果、困ったときの「社会的支援」が充実し、高福祉や医療の充実による「健康寿命」も増進されるなどして、国民の幸福度が高まったのである。

最近ではベーシックインカムの話題も世界中で言及されているが、2年間試験的に導入したフィンランド政府は、「主観的幸福度に効果があった」と結論づけている(Kela「Suomen perustulokokeilun arviointi」)。受給者の勤労意欲が低下することもなく、むしろ他者や政府に対する信頼が増したのだ。