時代に合った倫理感がない日本

ただし、同じことを日本でやっても、似たような結果にならないかもしれない。「働かざる者食うべからず」ということわざを超え、まず働けない者などの弱者への寛容性を高める必要があるだろう。

制度導入に関する議論はあってもいいが、そもそも制度とマインド(民度、倫理観)は同時進行なのだ。先のフィンランドでは、そもそも他者や政府への信頼や、互いに想像し許し合えるマインドを持った国民が多いからこそ、ベーシックインカム制度もうまく導入できたのである。

日本においても、時代に合致した倫理観の醸成が必要である。知識を身につけるだけではなく、マインドとして腑に落ちたかたちで実感できる、純粋で偽りのない倫理観を育成する必要がある。

「幸福学」が倫理観醸成に寄与できる

わたしが考える現代社会における倫理観醸成策のひとつは、「サイエンスとしての倫理学」だ。

前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)
前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)

たとえば、「利他的な人は幸せである」といったような、幸福学のエビデンスがこれに該当する。

従来は、哲学・思想や宗教が倫理観醸成を担っていた。大乗仏教では、一人ひとりが勝手に振る舞うのではなく、みんなの幸せを祈ることを説いた。ほかの宗教も同様である。しかし、宗教を信じる割合が逓減傾向にある現代社会では、「神様・仏様がいうように利他的になろう」では響かない人が増えている。

そこで、「あなたが幸せになるために、利他的になろう」と、幸福学の知見を用いた科学的な倫理学教育をすればいいのではないかという提案である。

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