心室細動で電気ショック20回、主治医「覚悟しておいてください」
2018年3月初旬。夫は多発性骨髄腫治療の新薬を使った治療のために入院。もう何度目の入院か知多さんさえわからなくなっていた。
入院3日目の夕方に知多さんが面会に来ると、夫は突然目をむいてベッドに倒れこんだ。慌てて知多さんがナースコールをすると、看護師が数人駆けつける。
看護師からは、「大丈夫ですか?」「どなたか連絡する方がいらっしゃったら今のうちに……」などと言われ、知多さんは病室の外へ。中からは、「このままだと呼吸がとまっちゃうよ!」という叫び声が聞こえてくる。
夫はICUに移されたが、その後も不整脈(心室細動)を繰り返し、電気ショックを20回以上受け、主治医からは「覚悟しておいてください」と話があった。
夫は6日眠り続け、目覚めた。知多さんから連絡を受けた娘や義弟たちは、ほっと胸をなでおろす。
ICUに入って17日目、夫は一般病棟へ。
「もしかしたら、この世から消えていた可能性もあった命。神様が与えてくれたこれからの日々、大切に過ごさないとね」。
知多さん夫婦はこんなことを話し合った。
2018年4月、夫は無事退院。
「俺ももう、永くないかもしれないなぁ」
5月に知多さん夫婦は結婚40年を迎えた。6月には、夫のがん治療の合間を縫って、夫の友人夫妻たちと1泊2日の小旅行へ出かけた。
12月末、何クール目かの抗がん剤治療が始まり、夫は入院。知多さんが面会に行くと、夫はやはりしんどそうにしている。
食欲は落ち、血圧も低い。そのせいか夫は、「俺ももう、永くないかもしれないなぁ」とぽつり。発病以来、何度も入退院を繰り返してきたが、いつも「大丈夫だよ」と言って笑っていた夫。こんな気弱な言葉は一度も発したことがなかった。
「何言ってるの? 今身体がだるいのは薬の副作用。あと1日2日はしんどいと思うけど、きっと大丈夫!」
知多さんは笑いとばした。
2019年1月、夫は歩くリハビリを開始。そして中旬には無事退院が決まった。
夫と2人で老健施設にいる義母に久しぶりに会いに行くと、「畑仕事はもうできないよ」とずいぶん前から言っているのに、「今は何を作ってる?」「家で食べる分くらい作らんとね」などと言う。
そして「そろそろ家に帰ろうかやぁ」と言う義母に、「俺がこんな調子だからなぁ……」と夫は言葉を濁す。
「家に帰っても手はかからんよ。自分のことは自分でするし、どっこも悪いところはない」
と義母は言った。