各方面から批判や不安が集まるリスキーな事業
コロナワクチンに関してはいまだに安全性を疑う声が多い。ネットやSNSでは、「コロナ死」よりも「ワクチン死」のほうが深刻だということを主張して、子どもへの接種や3回目接種に強く反対をしている人もかなりいらっしゃるのだ。
また、イベントチケットの2割相当分を税金で負担するということに抵抗のある人も多い。特定の事業ばかりが優遇されるのではという不満もあるし、かつてGoToキャンペーンが感染を拡大させたと大炎上したように、この取り組みによってさらに感染が広がるのではないかと不安に感じている人もいる。
つまり、この政策は「批判される恐れがある」のだ。そのため本来ならば「正解」のはずの「ダサくてベタ」も避けなくてはいけない。「ワクチン打ってお得に遊ぼうキャンペーン」とか「GoToワクチン」なんて感じで、なんのひねりもない、わかりやすいネーミングをしてしまうと、政策の狙いがより生々しく浮かび上がって、かえって批判を呼び込む恐れがあるからだ。できることなら「ワクチン」という言葉さえも使いたくない。
そうなると、この世界のもうひとつの暗黙のルールが発動をする。そう、「できるかぎり元気にぼやかす」である。
名前が炎上してもワクチン接種が進めばOK
ワクチンの「ワク」に引っ掛けた「ワクワク」という元気で前向きなワードを前面に押し出すことで、「金をチラつかせてでも若者にワクチンを打たせたい」という政府の本音をかなりぼやかすことができる。
「ワクワク割」なんてちっともおしゃれな響きではないし、日本語としても意味不明なのだが、そのセンスのなさ、支離滅裂具合に注目が集められる。「政策のリスキーさ」から人々の目をそらさせたい政府としては、こちらの方が理想的なシナリオなのだ
重要なのは、あくまでこの制度を利用して1人でも多くワクチンを接種させて、ついでに経済振興もできたらいいよねということなので、今回のケースでは極端な話、ネーミングなど「記号」でいいのである。
政治の世界では、後ろめたいことがあればあるほど「できるかぎり元気にぼやかす」という力学が働くので、語る言葉があやふやになって、根性論のようになりがちだ。
これから夏の参院選へ向けて、政府も自民党も、そして野党もさまざまな政策やキャンペーンを仕掛けていく。その時のひとつの判断基準に、ぜひネーミングというものにも注目してみてはいかがだろうか。