保身に走る官僚は無難なネーミングを選び続ける
こういう事態を最も嫌がるのが、官僚である。彼らは「国民に奉仕したい」という高い志をもってこの世界に飛び込んでいる。その一方で、定年退職まで平穏無事に勤め上げて、高収入の天下り先も確保したいという欲もある。つまり、こんなしょうもないネーミング騒動などに巻き込まれて、キャリアに傷をつけたくないのだ。
なので、大手広告代理店から「これはバズりますよ」とか「すごくいいコピーです」なんてものを大量に提案されても、安全パイしか選ばない。必然的に当たり障りのない、どこかで聞いたことがあるような「ダサくてベタ」が「正解」になるのだ。
つまり、先ほどのケースでいえば、最初から「あなたもゲートキーパー宣言!」というマスコミに取り上げられることもない、無難なネーミングが選ばれるのだ。実際、GKB騒動以降、「ゲートキーパー」が世間の注目を集めることはほとんどなかった。
さて、このような話を聞くと、不思議に思う方もいるだろう。
関係者の保身のためにもネーミングが「ダサくてベタなほうが正解」になってしまうのは、保守的な大企業などでも見られる現象なのでそれは理解できるが、「イベントワクワク割」というのはさすがに酷すぎないか。ダサいとかベタという以前に、何を言っているのかよくわからないではないか。
政治の鉄則は「大事なことはぼやかす」
それは、政治や行政の世界にあるもうひとつの「暗黙のルール」で説明できる。一言で言えば「批判される恐れもある内容は、できるかぎり元気にぼやかす」というものだ。
いったいどういうことか。政治家のポスターやホームページで掲げられているキャッチフレーズを見てほしい。「美しい国」とか「国民のために働く」とか、非常にザックリとした表現で、何を具体的にどうするということはあまり語られていない。
政策もそうだ。「誰もが笑顔になれする社会を目指します」とか「子育て支援と医療で安心を実現」など、ふわっとした内容ばかりが羅列されている。
あれは意図的にやっている。政治家個人が「減税をします」とか具体的な政策を掲げたところで、日本は派閥政治で党議拘束などがあるので、ほとんど実現できない。なので、政治の世界では、具体的な目標や詳細な公約は自分の首を絞めるだけなので、「できるかぎりぼやかす」のが鉄則である。