行動力が評価され「取締役課長」に昇格
次の転機が訪れたのはその翌年。「愛・地球博」内のものづくりパビリオンに出展が決まり、そのプロジェクトリーダーに任命されたのだ。チームメンバーは全国の事業所に散らばる若手社員を中心とした数十名。初めて経験する全社横断プロジェクトに、「私にできるのかな」と不安を覚えた。
プチプチハウスは、野外に建設したプチプチだけで出来た家。建設は試行錯誤の連続で、本番までの過程では失敗もたくさんした。なかでも最大の失敗は、根回しに関するものだったという。
「メンバーは全員若手社員だったので、当然上司がいるわけですが、私はその上司たちに根回しするところまで頭が回らなかったんです。その結果、あちこちから『勝手に進めるな』ってクレームが入って……あのときは本当にたくさん怒られました」
だが、この失敗からは、組織の動かし方をはじめ、ディレクションやプロデュースに必要なスキルも学ぶことができた。そんな経験を生かし、翌年には社内外の知恵を結集してプチプチの活用事例をまとめた『プチプチオフィシャルブック』を発売。こうして杉山さんは、自らのアイデアを形にする経験を着実に積み重ねていった。
そして30歳のとき、いきなり取締役に抜擢される。それまでは課長だったため、与えられた肩書きは「取締役課長」。いかに飛び級的な昇格だったかがよくわかる。抜擢の理由は「今まで、これほど躊躇なく行動する人はいなかったから」と推測している。
33歳で常務取締役に
当時も今も、杉山さんのモットーは「まずやってみる」と「乗りかかった船は必ず最後まで乗り切る」。取締役への抜擢は、そうした信条と行動力が評価された結果と言えるだろう。
「驚きましたが、これまで通りやるべきことをやっていこうと、割と落ち着いて受け止めることができました。ただ、全国の事業所や工場を見る立場になるので、視点は高く持っておかなければ。その点にはプレッシャーを感じました」
中国古典を読むようになったのはこのころ。また、社員との間に距離ができないよう、対面で会話する、各々が抱える小さな問題にもしっかり向き合う、技術的にわからないことがあれば現場に直接聞く、といったことも心がけるようになった。
その後、33歳で常務取締役に就任し、30代後半には工場長や総務部長も兼務。実はいちばんしんどかったのは、この工場長時代だったという。製造工場は24時間フル稼働で、約60人いる従業員は男性が多く、年齢もバックグラウンドも違う人々が忙しさに追われながら働いているだけに想定外のトラブルも多かった。