「問題は医療体制にある」という不可解な擁護
そして医師である2人の有識者は以下の見解を示している。
「2月15日の尿検査結果からは,A氏が十分な栄養を摂取できていなかったことや既に何らかの腎障害が存在していたことが考えられるが,制約された診療体制の中での判断であったことも考慮する必要がある。仮に甲医師が常勤医であり,看護師から定期的に状況の報告を受けるとともに,自ら自由に患者の情報を確認し,患者に接することができる状況であったら,尿検査の結果を十分に検討してそれを踏まえた措置を行うことも期待できたと考えられる。
しかし,甲医師は,週2回・各2時間という限られた時間において,診療を申し出た被収容者に対していわば受動的に対応(中略)こうした制約された医療体制にこそ問題があった」
「尿検査結果を踏まえた内科的な追加の検査等がなされることが望ましかったものの,それが行われなかった原因は(中略)名古屋局の医療体制の制約にあったと考えられる。したがって,医療体制の抜本的な強化に取り組む必要がある」
つまりあくまでも問題は医師の過失ではなく医療体制のみにあるとしているのである。だがこの“擁護”は極めて不可解だ。
非常勤医だったら受け身の仕事でもいいのか
そもそも検査結果の見落としと常勤医であるか否かはまったく関係ない。非常勤とはいえ単発ではなく継続して勤務していたのだ。要注意の被収容者を認識できていたはずだ。看護師からの報告がなくとも自ら情報を収集して指示を出す。それが医者というものだ。それをしなかったのなら、それは単なる職務怠慢である。
検証を任された有識者は、本来ならば「甲医師が非常勤医であり、看護師から定期的に状況の報告を受けることがなかったとしても、自ら自由に患者の情報を確認することまでは妨げられるものではないのだから、必要に応じて患者に接し状況把握に努めるべきであった」との意見を述べるべきではないのか。
またこの医師は「2月18日の診療時に尿検査結果を把握したかどうかの記憶は定かではない」と証言しているが、そもそも自らオーダーした検査だ。その結果に記憶がないなど通常あり得ない。入管施設だ。一般の医療機関より多くの検査結果をチェックしなければならないということも、他の検査結果に紛れて見落とすこともないだろう。この医師の証言は極めて不自然だ。