「最終報告書」だけではあまりに検証が足りない
前回記事<「ウィシュマさんは入管に見殺しにされた」カルテを読んだ現役医師がそう断言する“3つの異常値”の深刻さ>では、ウィシュマさん死亡にかかる重要なポイントとして、担当医はじめ入管職員らが早々にウィシュマさんの訴えを「精神的なもの」と決め打ちしてしまったこと、2月15日に2回目の尿検査をしていたにもかかわらず、その結果に示された重要な所見が見逃されていたことを指摘した。
そして「最終報告書」が出されるまで、その尿検査の結果はおろか検査施行の事実まで明らかにされなかったことについて、極めて不自然であり、隠蔽を疑わざるを得ないとの指摘も加えた。
ウィシュマさんの死因は「最終報告書」どおり「病死」なのか。医療体制だけが問題なのか。私が一介の医師として独自の検証を行ってきたその強い動機は、入管庁による自己検証とそれに協力した有識者医師らの見立て、そしてウィシュマさんの医療に関わった医師らの証言が、あまりにも浅薄かつ無責任なものと感じたことにある。
このような報告書で、この痛ましい事件の検証を済ませたことにしては断じてならない。このままでは、また同じ被害者を生み出すことになる。本稿では「最終報告書」における有識者らの見解とともに事件の背景を考察しつつ、示された再発防止策の妥当性にも言及したい。
死因に関する項は全体の5%しか書かれていない
「最終報告書」ではいかなる「反省」が示されたのか。
「本件における名古屋局の対応についての検討結果」では、その冒頭に「A氏(ウィシュマさん)は病死と認められるものの,詳細な死因については,複数の要因が影響した可能性があり,各要因が死亡に及ぼした影響の有無・程度や死亡に至った具体的な経過(機序)は明らかとならなかった。そのため,A氏の死亡の主たる要因や死亡に至るまでの具体的機序を前提とした検討を行うことはできなかった」との記載がある。
しかし「最終報告書」における「死因」の項は5ページ余り。全体のわずか5%を占めるにすぎない。有識者医師らの検証も内容が薄く、死因の真相を本気で解明しようという姿勢はまったく感じられない。私が指摘したビタミン不足の可能性を検討した形跡すらない。
ただ2月15日の尿検査については、さすがにスルーできなかったと見えて「2月15日にA氏の尿検査が行われた。その尿検査の結果は,ケトン体や蛋白質が基準値を超える数値となっており,同結果が甲医師(庁内内科医師)に報告された」ものの「追加の内科的な検査等が行われることはなかった」ことは正直に認めている。