日本独特の「絶対服従」タテ社会

日本の社会人類学の草分け的存在である東京大学名誉教授の中根千枝先生は、つねに「女性初」という形容詞で語られる方です。「女性初の東大教授」「国立大学初の女性研究所長」「女性初の日本学士院会員」……。いまも女性は各分野で男性社会の「壁」と戦っていますが、女性研究者のパイオニアとして道を切り拓いてきた彼女が、相当の困難を乗り越えてきたことは間違いありません。

そんな中根先生の代表作と言えば、なんといっても1967年刊行の『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』(講談社)です。中根先生は著作で、世界でも独特の日本社会の在り方を鋭く分析しています。

日本社会の特徴は「タテの原理」で動いていること。職種・階層などを基盤にしてヨコにつながるインドや欧州とは対照的で、会社・組織などの「場」が重視され、そこでは先輩・後輩、上司・部下といったタテの原理が強く働いていると、中根さんは論じました。

大きな男にひれ伏す小さな男たち
写真=iStock.com/z_wei
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中国人はつねに年長の者に対して、象徴的にいえば、二、三歩さがった地点に自分をおくといったような行動において序列を示しているが、何か重要な決定を要する相談事項となると、年長者に対してもいちおう堂々と自分の意見を披瀝する。日本のように、下の者が自分の考えを披瀝する度合にまで序列を守るということはない。

これはインド人においても同様であり、また、意見の披瀝という点では中国人以上に自由である。インドで私が最も驚いたことは、中国同様に敬老精神が高く、またカーストなどという驚くべき身分さがあるのにもかかわらず、若い人々や、身分の低い人々が、上の身分の人々に対して、目に見える行動においては、はっきりとした序列を見せるが(決してタバコを吸わないとか、着席しないとかいうように)、一方、堂々と反論できるということである。

日本では、これは口答えとして慎まなければならないし、序列を乱すものとして排斥される。日本では、表面的な行動ばかりでなく、思考・意見の発表にまでも序列意識が強く支配しているのである。

これらの記述からは、ラグビー協会の総会で目にした光景が甦りました。発言するのは外部の女性理事ばかりで、高校、大学、実業団と有力チームに進み、長く選手・コーチを経験した“ラグビー歴が長い協会関係者”ほど幹部の前で押し黙る状況は、まさにその通りでした。現役時代に、素晴らしいタックルやひたむきなプレーでファンを魅了した方たちがびっくりするくらいタックルもしない状況には驚くばかり。明治、早稲田、慶応、筑波、東大といった大学OBのつながり、強豪社会人チームのつながり……そういった派閥が幅を利かせ、お世話になったり、自分を引き上げたりしてくれる大先輩の前では絶対服従。

選手としての実績、学閥……。そんな背景と無縁の私が、ラグビー改革のため、協会の透明化のため、と思って意見しても、それはラグビー村の「おっさん」たちにとっては“口答え”であり、和を乱すものでしかなかったのかもしれません。

「序列」が幅を利かす組織では、抜擢された人間、外部から登用された人間はそうでない人にとって嫉妬の対象となりやすく、それも改革を妨げる一因です。私を含め外部から女性理事が登用されたことで、「自分もようやく協会理事になれる」と思っていた「おっさん」がポストを与えられず、その影響が私たち“外からやってきた人間”の改革を拒んでいた面は否定できないでしょう。「嫉妬」という言葉が“女へん”で表されていること自体、疑問を感じます。